花ある風景(486)
湘南 次郎
腰越漁港の漁師さん
江の島の対岸には腰越漁港がある。風光明媚で、最近立派に整備された漁港だ。有名な源義経が源平合戦を勝利して得々と凱旋して来たが、兄頼朝にストップされ、鎌倉中へ入れて貰えず、うらみ、つらみの腰越状を書いた満福寺のあるところだ。その漁業協同組合の理事長さん方三人との座談会に、出席させていただいた(2月初め)。みな70才近い漁師さんであった。拙宅も隣の七里ガ浜でその沖へ出ている漁船を毎朝のように見ているので皆さんの話が面白かった。その幾つかを紹介しよう。
(山立て)これは海底にはでこぼこの地形や、魚のいるところを探すのに長い経験で熟知され、かつては、その位置についていわゆる測量の交会法で例えば、稲村ケ崎と逗子の山、江の島とを合わせてその場所を特定した。これを山だてと言った。また、大きな建物も目標にしたらしい。したがって霧の時はだめであった。また、目標としていた岬の松が台風で倒れ正確な位置が出ず困ったそうだ。現在は最新式の魚群探知機や現在地を正確に知る「ロランC」という機器や、車とおなじ「GPS」で入力しておけば障害をよけて帰港できるものとか、「レーダー」で大島沖の天候状況を知ることができるそうだ。だが、自分の目に頼っていた時の方が大きな事故が無かったとのこととは皮肉なものだ。
(天気予測)雨がやんで西の空が明るくなるとピーヒョロロととんびが鳴く、また、夜、強い南風が吹くと朝からは凪(なぎ)、梅雨時はしけない。またあの辺の漁には北風には強く風速10bぐらいでも出るが、南風には弱い。雷様が鳴ると梅雨があける。雨が降ると潮の流れが速くなる。昔の漁師のカンは役立ったが、現在は異常気象で当たらなくなってしまったそうだ。
(名物の魚)腰越で市場に出荷して、絶品は「あまだい」「まあじ」だ。腰越と名が付けば特別高値で取引されたそうだ。また、それを釣るのに海藻についた「巣むし」という貝殻の中にいるえさも豊富にあった。今はそれほどは採れないようだ。ちなみに昨年は水深15〜20bのところにいるマルイカが多かったそうだ。また、私が鎌倉へ引っ越して来た昭和50年ころには、夜勤めから帰って来ると海岸でカンテラを提げた連中がウロウロなにかしゃくっていた。それは、先日、絶滅種に指定されたうなぎの稚魚シラスうなぎだったのだ。当時でも高値で取引されていたようだ。今は全然いないとのこと。だが、一番有名なのはイワシの稚魚のシラスだ。腰越、江の島ではシラスの料理屋が多く、しらす丼、を提供している。特に丼ご飯に採りたての生シラスを載せたのは絶品だ。漁期は終わったが、夏から秋にかけて細かい目の大きな網を引いて行ったり来たりしている漁船が毎朝見られる。だが、あんなに採っていいのかなと心配になる。そして、終わると春はワカメだ。筆者も採りたてを貰ったり、荒天の翌日の波打ち際に打ち上げられたのを味噌汁の具にしたものだ。
今の若者は、なにしろ朝早く重労働なので就職しても2年と持たないそうで後継者不足。昭和25年64人いた組合の漁師も今は大分減ってしまったと嘆いていた。だが、早朝、颯爽と近代漁具を積んだ漁船が白波をけたて朝日を浴びて伊豆半島、富士の絶景を背にしながら漁港を出航して行くのはかっこいい。どうか、元気で航海平穏にお仕事を続けていただきたいと念じている。
|