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「3・11行方不明」。
その家族は遺族と呼んでよいのだろうか
牧念人 悠々
東日本大震災は3月11日で2年目を迎える。死者1万5880人、行方不明者2698人(2013年2月6日現在・警察庁調べ)。石村博子著『3・11行方不明―その後を生きる家族たち』(角川書店)は、「行方不明の家族は遺族と呼んでいいのだろうか」と問いかける。死者の遺族とは確かに違うものがあろう。肉親を探し求める親族の思いはどんなものであろうか、その親族しか発することのできない感慨・言葉がある。著者はそれを追い続けた。読んでいて涙が出てきた。親族の痛切な思いが心に響いたからであろう。
東京電力福島第一原子力発電所のある大熊町の唯一の行方不明者は木村紀夫さん(46)の次女で7歳の汐凪(ゆうな)である。日本に3頭しかいない「血液腐敗臭感知犬」を使ってまで捜索している。捜索犬の訓練法を独自に開発したのは田中秀和さん(42)。これまでに40人以上の遺体を発見している。放射能のために愛児の捜索が自由にできない木村紀夫さんは東電の説明会で「東電は大熊町に入って捜索してくれ。これは我々の命令です」とまでいう。
妻裕子さん(47)を探す高松康雄さん(55)は裕子さんが勤めていた七十七銀行女川支店を他の3家族とともに「安全配慮義務を怠った」として裁判所に提訴した。12人が死亡、行方不明となったのは銀行側が避難誘導などで安全配慮義務を怠ったためというのである。約260m先には指定避難場所となっている高台があり、そこへ逃げずなぜ屋上へ避難という判断が下されたというのかと問う。同じ女川湾に近い仙台銀行、石巻信用金庫支店では職員を高台へ避難させ亡くなった人は誰もいないのだ。銀行側は「支店長の判断はやむを得なかった」と主張しているという。こんなところに戦後、政治家から企業のトップまでが問題が起きた時、取るべき責任を取らなくなったことが垣間見える。頭取、副頭取、支店長がそれなりに高給をとっているのは万一の際に判断ができ、起きたさいには責任をとるためである。もちろん日頃から防災を高めるのもその一つである。
海外メディアからいつまでも遺体の捜索を続けることに懐疑が出た際に宮城県警阿蘇東彦さんは「行方不明の方がいる限り日本人としてやります」と答えている。アメリカなら見込みのない活動を3ヶ月以上やることは考えられないという。なぜか。無駄と思える捜索をするのか、阿蘇警視は「浮かばれない」という言葉を口にする。私もそれと同じく「行方不明者がさまよっている。だから探すのだ」と思う。日本人の国民性であろう。日本人はやはり情が深いく思いやりがある国民なのである。
震災から1年たった時点で岩手、宮城、福島3県の行方不明者の9割の死亡届が受理された。死亡が認定されると生計を維持していた人の場合500万円、それ以外の人の場合250万円の災害弔慰金が支給される。行方不明のままだと生命保険もおりないし借入金があった場合は一定湯譽期間以降、延滞金として利息が付いてしまう。法律というのは人の気持ちを斟酌しない。生活のために家族を死者としてよいのか…どこかで心の踏ん切りをつけねばならない。そうでなければ生きては行けない。東日本大震災が出した「行方不明者の家族」は遺族ではないと思う…遺族でもあると考えるというのが私の読後感である。
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