花ある風景(485)
並木 徹
春光や海を見ている黒い猫
寺井谷子さん主宰の「自鳴鐘」が毎月届く。最初に寺井谷子さんの「思いの海 言葉の海」を読む。いつも何がしの感慨が得られる。3月号では「読み疲れ館野泉と日向ぽこ」宮田キミ子の句に感心する。「人生に余白ありて日向ぽこ」(川口徹也)と詠んだのは同期生川口久男君である。「日向ぽこ」を同じく使いながら左手のピアニストの名前を入れて句を読むとは見事である。館野泉は11年前脳溢血で倒れ右手が不自由になりながら左手だけのピアノ作品によるリサイタルを開く。寺井さんは「目を閉じてその力強い演奏に身をゆだねる。それは奇跡を起こす渇望と努力のシャワーを浴びること」と句評に書く。
同人の作品の中に知人の今尾方江さんの句があった。「伊豆稲取にて4句」とあった。あらかじめ手紙をいただいたので伊豆の稲取に行ったことは知っていた。「天気の良い日には伊豆七島がうす濃くみえてじっと海を眺めて5泊もしてしまいました」と手紙にはあった。そのうちの一句「春光や海を見ている黒い猫」が私の心をとらえた。春の光。海の青、猫の黒。自然に表現されたといえこの色彩感覚は鋭い。一幅の絵であると感じた。
「海や空の青さを出すのは不可能だ」といったのは印象派のクロード・モネ(1840年〜1926年)。モネには「エトルタ」(1861年)「サン・タドレスのレガッタ」同じく「サン・タドレスのテラス」(1867年)「印象・日の出」(1873年)など海を題材にした絵が少なくない。もしモネが生きていたら春の光に輝く漁港稲取の静かなただずまいを描くのであろうか。
「モネの才能は鋭い目に支えられていた。誰よりも遠くを、誰よりも深く見ることができた」という。印象派は「光を描く」という。モネは「摘み草・夏の終わり・夕方の印象」「二つの摘み草・日没‣秋」「摘み草・霜の印象」「摘み草・雪の印象・夕暮れ」(1890年―91年)「ポプラ並木・春」「ポプラ並木‣秋」(1891年)など季節の変化・季節の光の変わりようを見事にとらえる。
俳句の場合はどうか。私は耳が鋭くなければだめだと思う。耳から入ってくる音の響きを美しくきれいに表現できれば名句が生まれると思っている。
色彩感覚からいえば「黒」の存在は光、海の青に比べると極めて小さい。猫は作者自身を表す。作者は何を思っているのであろうか。孤独、寂しさ、恋人・・・私はものすごく深い孤独さを感じる。哲学的に言えば大自然に比べれば無力な人間の存在を詠む。さりげない句だがそう思える。私は俳句を作るより鑑賞する方が楽しい。
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