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北朝鮮の核実験に思う
牧念人 悠々
3度目の核実験を行った北朝鮮は地獄への道を突っ走っている。核を万能と思っている。しかも核爆弾を使用するのをためらわないであろう。核爆弾を通常兵器と思っている。だから北朝鮮の核実験は『世界の平和と安全に脅威である』。この警告にも日本人の多くは自分事とは思っていない。戦後68年一度も戦争をせず戦死者も一人も出さなかった日本の悲劇であるといえよう。
数年前、物理学者の友人が北朝鮮の核攻撃に備えて「シェルターを作ろうと思っている」といったことを思い出す。当時は少し大げさすぎると感じたが今は現実味を帯びてきた。
日本は昭和20年8月6日広島で、8月9日長崎で、原爆により大きな被害を受けた。ただ一発の爆弾で一瞬にして都市が壊滅する体験した日本人にしかこの惨劇、悲劇を語ることはできない。だが原爆の被害の甚大さを知っておくことは無益ではあるまい。
昭和20年3月9日の夜、アメリカの334機のB-29が平均1平方哩に1万3千名の人口密度を持った東京の下町を狙い、縦3哩横4哩の地域に焼夷爆弾を落とした。東京の15・8平方哩が焼け、26万7千171軒が全焼、8万3千793名が死亡、4万918名が負傷した(米軍の損害はB-29を14機失ったのみであった)。
ただ一発の原爆はただ1機で東京大空襲以上の被害を出すことができた。広島の被害は4.7平方哩が破壊され4万6千653軒が完全破壊され8396軒が大破、1千111軒が小破であった。戦死ないし不明者7万1千379名、負傷6万8千023名(1万9千691名重傷)=戦後6ヶ月後の政府調査=。長崎の被害は死者14万9千人、全焼壊家屋1万2千900軒、半焼壊5千509軒であった。資料によれば8月15日さらに3弾目の原爆が日本に投下を予定されていたという。原爆投下に関するワシントンの決定は「1、米国は原爆を日本対して無警告で使用すべきである2、その目標は投下すれば最大の心理的衝撃を与えうる人口稠密な地帯における軍事工場とすべきであろう」であったという。
北朝鮮の場合はどうか。東京は当然としても他の都市は無差別であろう。原爆が長崎に投下され後、当時、米国のヘンリー・L・スチムソン陸軍長官は「20世紀における戦争は、すべての点においてますます野蛮に、破壊的に、かつ下劣になってきている」と語った(L・ギオワニティF・フリード著堀江芳孝訳「原爆投下」原書房)。スチムソンの指摘通り21世紀もそのまま引きずっている。日本は国防を真剣に考えるときに来た。
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