2013年(平成25年)2月20日号

No.565

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花ある風景(483)

 

並木 徹

 

孫崎享さんの「戦後史の正体」を読む
 

 外交官・孫崎享著「戦後史の正体」(創元社・2012年10月10日8刷発行)を読む。孫崎さんが民主党の鳩山由紀夫元首相に「普天間基地を最低でも県外もしくは国外へ移転する」とアドバイスしたと聞いて興味を持った。なるほど孫崎さんは明快である。戦後史を読み解くのにアメリカに対して「自主路線」を貫くか「追従路線」をとるかで決める態度である。まことにわかりやすい。自主路線の孫崎さんが鳩山元首相に「県外もしくは国外へ」というのは無理からぬところである。それが日本の国益にかなうかどうかといえば別問題であろう。現在の日米同盟の空洞化・いびつさを考えればそれは理解できよう。この2軸対立で物事を判断して事がそれで決まるというわけではない。具体例を上げる。日本がイランのザデガン油田の開発権を得ることができたことがあった。当時、孫崎さんはイラン大使であった。一時ハタミ大統領の訪日がダメになりそうになった時、孫崎大使は影で苦労して訪日にこぎつけ、油田の開発権を手に入れた。ところがアメリカの圧力で放棄せざるを得なくなった。結局この油田は中国のものになった。

 私もブログで日本の国益上、油田の開発権を放棄するなと書いた。だが長い目で見たらこの問題はどちらが良いかのかのかよくわからない。イランが世界の問題児だからである。

 戦後アメリカに毅然として戦った政治家として重光葵、石橋湛山、芦田均、鳩山一郎、岸信介の名前を上げる。その中でも重光葵を戦後史の中でももっとも自主路線を主張したとする。彼らの多くがアメリカによって政治の表舞台から退けられたという。いずれも立派な政治家である。

 「降伏文書」を読めという指摘は鋭い。初めて読んだ。日本政府は「連合国最高司令官からの要求にすべて従う」というのは降伏文書の中身である。著書でも触れているが、占領期間中に制定された「憲法」も、またA級戦争犯罪人が裁かれた「東京裁判」も連合最高司令官の命令に従ったものだ。ここで押し付けられたものをいまだに多くの日本人が後生大事に守っている。むしろ処刑されたA級戦犯を「公務死」と、とらえ靖国神社に合祀するのに手伝った厚生省の役人こそ「自主路線派」としてほめるべきではないか。

 沖縄で米軍の犯罪が起きるたびに「日米地位協定」が問題となる。寺崎太郎元外務次官は「米軍を日本に駐留させるための行政協定が一番重要で、そのための安保条約あり、それを成立させるために講和条約があったと書いている。米軍に対する裁判権の問題は重要でこれは今後、改めるべき問題だと思う。これは「自主・追従」に関係なく日本人の誇りとして進める事案であろう。

 ロッキード事件に触れる。田中角栄首相の日中国交回復が米国を怒らせたと孫崎さんはいう。いくつかの事実誤認がる。誤配問題。これはチャーチ委員会(米上院外交委多国籍企業小委員会)の要請によりロッキード社が書類を送ったもので誤配ではない。チャーチ員会がこの書類にもとづいて審議をはじめ児玉譽志夫がエアバスにからみロ社から48億円のわいろを受け取ったことが明るみに出たのが事件の発端である。田中角栄元首相にしてももともと『刑務所の塀の上を歩く』といわれるほど金儲けの上手な人で東京地検特捜部の捜査線上にあった人物であった。米国謀略説は後でとってつけた屁理屈である。

 最後に普天間基地移転の問題に触れる。鳩山首相の「最低でも県外移設」の提言を覆したのは米国人ではなく日本の官僚、政治家、マスコミと孫崎さんは指摘する。それは正しい。現在日米同盟を考えるうえで、沖縄は日本にとっても米国にとっても戦略拠点である。海兵隊が駐留するのは第7艦隊との運用上である。軍備を毎年増強する中国。核実験により核を小型、軽量化を図り核保有国となった朝鮮を隣国に持つ日本が単独で国を守ることはできない。日米同盟をより強固にするほかあるまい。孫崎さんが言う「日本には日本の独自の価値がある。それは米国とかならずしも一緒ではない。力の強い米国に対してどこまで自分の価値を貫けるか、それが外交だ」の意見には賛意を表する。