花ある風景(481)
並木 徹
ある登山学校の新春懇談会
スポニチ登山学校の新春懇談会に出席する(1月20日東京・四谷主婦会館プラザエフ)。参加者50名。名誉校長の私は1期から3期ぐらいまでは講師の先生の講義を真面目に聴いていた。開講式と閉講式に出席し、お祝いの言葉を述べた。登山はしなかったのですべての生徒を覚えてはいない。それでも懐かしい顔が散見された。登山学校は12年間続き449名の卒業生を出した。閉校式を行ったのが平成20年8月23日。それから4年余たつ。聞けば昨年12月なくなった写真講師の藤田弘基さんの偲ぶ会で「みんなで新年に集まろう」ということになったという。登山学校の卒業生たちは校則の「常に情誼のあつい人間たれ」を実践、きわめて団結が固いようである。
出席する前。書斎に飾ってある閉校式の際,生徒から贈られた「感謝状」を見た。文面に「厳しくも楽しかった山行を通して夢と希望と前向きに生きる勇気を与えられましたこんな素晴らしい学校を・・・」とある。だからであろう。新聞に山の遭難の記事が載るたびに心配する。これまでに登山学校の生徒の遭難事故は皆無である。これも尾形好雄校長の「事故と弁当は自分持ち」の教えが徹底しているからであろう。ともかく八木原圀明前校長,尾形校長とも現在は日本の山岳会では重職を務め登山の発展のために尽くしているのは頼もしい限りである。
あちらこちらで話題の花が開く。昨年夏,夫婦でアイガー北壁を上ったという人もおれば、5月に大山にいっしょに登ろうという話がまとまる。まことににぎやかである。10期の熊倉盛彦さんが「卒業論文賞をいただいたのが忘れられません」と話しかけてきた。私も覚えている。この人の文章は上手とは言えなかったが山行の問題点と対処方が克明に書き込まれて「山に真面目に向かい合う」姿勢がにじみ出ていた。「文は人なり」。まことに誠実な方である。
講師で医師の住吉仙也さんも西宮から駆け付けた。大阪大学医学部卒業、高等学校は第六高等学校。安倍晋三総理の父晋太郎さんとは1年上で寮も剣道部も一緒であった。温厚そうに見えて晋太郎さんはずぶいといところがあった。息子の総理を見ていると線が細すぎる。長続きしないのではないかと危惧していた。住吉さんは学生時代、船医となり外国めぐりをするなどユーニークな経験を持つ。登山家としても著名である。1970年10月19日、大阪大学山岳部がP−29(7835m)登頂に成功した際の登攀隊長であった。
なくなった阿久悠さんの「サガルマータ賛歌」にこんな詩がある。「萎えた心では進めない うつむいていては先が探せない 暗がりは光を見るチャンスと
ふり仰ぐことを考えよう」
混迷し閉塞した時代である。この歌こそ政治家にかみしめてほしい。 |