日本将棋連盟会長・米長邦雄さんが亡くなった(12月18日)。享年69歳。ご冥福をお祈りする。
毎日新聞・スポニチが名人戦、王将戦を主催していたので対局場でよくお目にかかった。講演がとてもうまかった。聴衆をいつも爆笑の渦に巻き込んだ。人の心をつかむのが上手であったのであろう。将棋についての話はそのまま人生論につながった。昭和20年8月、敗戦後軍国主義はまかりならぬということで将棋もその一つとしたやり玉に挙がった。理由は「日本が戦争を起こした遠因は将棋を指すことにある」「とった駒を使うというルールは日本だけだ。これは野蛮で、これが捕虜虐待につながった」と理屈にもならないことを理由につけて将棋を廃止してチエスにしようと占領軍が試みたことがある。その経緯を米長さんから伺ったことがある。GHQ民生局長ホイットニー准将を相手に渡り合ったのが将棋界の鬼才升田幸三さん(名人・9段)であった。升田さんの受け答えが見事であった。将棋の捕虜虐待説には「取った駒を使うのは虐待ではない。相手の飛車を捕まえて歩として使えば虐待かもしれないが相手の飛車は必ず飛車として遇する。これは捕虜活用である」と弁じた。ホイットニー准将はチェスのクイーンを持ちだした「日本の将棋は野蛮だ。日本は男が威張ってやりたい放題だからこうなった。チェスは優雅である。クイーンという駒がある。日本の将棋は殺風景である」ともかく将棋の運命が升田幸三さんにかかっている。そこで升田さんはトイレ休憩を要求した。用を済ませて准将に質問した。「キング・クイーン取りを食ってしまったらどうしますか(将棋では王手飛車取り)。キングが逃げるのかそれともクイーンがにげるのか」。暗に日ごろは女性を大事にすると言いながらいざとなったら女性を犠牲にするではないかとほのめかした。二度もやりこまれた准将は「お前は面白い日本人だ。それだけの知恵があるのなら何か良い知恵はないか、教えてくれ」といった。腹が据わっている升田幸三さんが返事する。「ただはいけません」。いやしくもGHQのナンバー2が相手である普通の人ではこんな言葉は出てこない。謝礼として缶ビール、コンビ^フを頂いたという。升田幸三さんは次のようなアドバスをした。「この国を治めようと思うならチェス流の考えを止めて将棋の知恵を生かすべきである。今巣鴨に入っている人たちは政治経済の急所にいた人たちだから、その人たちをそのまま閉じ込めておいて、このくをおさめようというのはチェスの考え方だ。捕虜を自分の手ゴマとして活用するのが将棋の考え方である。巣鴨の人たちを外に出して、政治経済の要所要所に張り付けて国を治めるべきだ。そうすればうまくいく」(昭和20年9月から12月までA級戦犯107名が巣鴨プリズンに収容された)。この升田進言を受け入れたかどうか真偽はわかりかねるが起訴したのは28名であった(うち絞首刑は7名であった)。多くは釈放された。
酒がまわると升田幸三さんが良く口にしたのは「それにしても恩知らずが多すぎる。岸信介はまだ俺のところにお礼に来ていない」というセリフであった。岸信介元総理は昭和62年8月91歳でこの世を去る。升田さんは4年後4月73歳で亡くなった。その21年後、岸信介元総理の孫が二度目の総理の座に就く。升田幸三さんの知恵に学んだ方が良いかもしれない。米長さんは愛国者であった。8月15日には靖国神社と千鳥ヶ淵の墓地に必ず参拝していた。惜しい人物を亡くしたものだ。
(柳 路夫)
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