2012年(平成24年)12月1日号

No.557

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山と私

(92) 国分 リン

― 天空の野点「八ヶ岳・西岳」 ―  

 西岳頂上(2398m)での行事「お抹茶と羊羹」F氏がザックの中から取り出して、熱いお湯で鶯色の抹茶を志野のお茶碗に入れ、茶筅で点てたお抹茶は何よりも疲れを取り、何杯も所望し、元気をもらう。

 雪を纏った富士山や南アルプスの北岳・仙丈岳・甲斐駒岳もはっきり見える。木曽の御嶽や乗鞍・北アルプスもよく見えた。何より編笠岳の緑深い山と権現岳の猛々しい山容を目前に武者震いした。雲一つなく、風も無い暖かい太陽に、頂上で一時間もゆっくり出来たのは久しぶりである。広い頂上はわずか3パーテイの8人で、のどかだ。

 頂上の西岳標識の横に「御嶽神社」が刻まれた1m位の石碑があった。家に帰り調べると、権現岳が修験道の山としていたころ、権現岳の西に鎮座していたところから、西岳と呼ばれたのが始まりと云われている。修験道の神である蔵王権現を祭る神社は、明治時代の神仏分離のときに、御嶽神社、金峰神社、蔵王神社などと改称された。このことから明治時代にこの西岳頂上へ担ぎ上げられたのか、疑問が残る。

 ちなみに日本には西岳が全部で8座あるとネットに書かれていたので、紹介する。
岩手県の西岳(1018m)、埼玉県の二子山(1166m)、小笠原諸島の弟島(229m)、北ア表銀座の西岳(2758m)、戸隠連峰の西岳(2053m)、熊本の西岳(648m)、鹿児島の冠岳(516m)とこの八ヶ岳・西岳である。

 11月4日大きな窓から深緋色の太陽が顔をだし、霜に覆われた畑全部を赤丹色に染めた。手が悴み、真冬並みの寒さに身震いした。長野県富士見町は、雪は少ないが冷え込みが厳しい。私のスキーと山の先生F氏の古民家に泊まる。薪ストーブで暖を取り、一晩中燃えるような20p以上もある薪を燃やす。

 薪小屋に2年分はあるという。F氏ご夫婦は自宅前に300坪の畑で自給自足をし、薪も準備する。とても真似のできない生活だ。

 F氏の車で7時出発。富士見ゴルフ場脇の登山口を出発。開発が進み、伐採された木を運ぶための道路が整備され、林道が上まで通り、山道はその林道を3回も横切った。不動清水はこんこんと水が出ていた。周りにテーブルとベンチがあり、ここまで新緑や紅葉に時期のハイキングも有りかなと思う。ここから樹林帯のなか、標高差500mを登る。F氏は腰や肩の手術から2年ぶりの山登りで、大腿四頭筋が衰え、「自分のペースで先に登るよ。」すいすいと行くが、戻ってから「こんな辛い山は始めて。」2年のブランクは大変なのを知った。私はゆっくりペースで登る。周りにダケカンバの白い太い幹を見つけ、高度計を見ると2000m、あと1時間と思うと、急に森林限界を超え、富士山が目に飛び込んできた。眼下に町並が広がり、甲斐駒ケ岳がはっきり見えた。しばらく景色に見惚れた。この場所は火山の溶岩の小さな黒い砂利が階段状になっている小さい広場2138mだ。そこから急斜面を200m登ると、目標の11時に頂上到着。コースタイムの3時間30分で登れた。本当に気持ちの良い山登りに満足した。

 下山は速い。口数も少ない。数日来の冷え込みで、足元は厚く落葉で敷き詰められている。山靴の下から響くカサッカサッとやや高い音が森に吸い込まれてゆく。樹林帯途中で、24人のツアー登山に出会う。3人のスタッフが付いているようだが、これでは皆の調子を把握できないなと思った。下りは早く、不動清水に13時30分到着。この地をゆっくり観察すると、見事なモミの木2本が寄り添うように生え、その根元にお地蔵様が鎮座されていた。周囲には馬頭観音様も祀られ、立札には「この付近は修験の山であった。」と記されていた。ここから編笠岳を越え、権現岳のコースもある。次回はこのコースで登ってみたいなと思う。下りの途中に陽の光に透けて、深紅に燃えるカエデの大木に、歓声を挙げ、この木に会えただけで今回の山はますます大満足になった。