2012年(平成24年)10月1日号

No.552

銀座一丁目新聞

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安全地帯(371)

市ヶ谷 一郎


悲しいかな隣人


 軍歌に「…淋しき里に出でたれば、ここはいずこと尋ねしに、聞くも哀れやその昔、滅ぼされたるポーランド」(ポーランド懐古より)とある。この軍歌は明治26年(1889)2月11日ベルリン公使館付武官福島安正少佐が任を終えた帰途、ウラジオストックまでまだ未開のシベリア横断踏破を、単騎で決行、途中ポーランドを通過したときの感慨を述べたもの、哀愁を込めた愛唱歌であった。ポーランドはモンゴル(元)帝国が侵攻以来何回も他国の戦争に巻き込まれ、国土が通り道になる悲運に遭遇している。最近はドイツのソ連侵攻、敗退の第二次大戦で国土が荒廃した。

 ひるがえって東洋では、朝鮮半島が同じ悲運に遭っている。古くは豊臣秀吉が、時の明(みん)国侵攻を目指し、朝鮮に2度にわたり出兵する。また、大国元(げん)には、ユーラシア大陸を席巻後の日本侵攻のため、過酷な任務を課せられ国土も荒廃する。日本軍には日清・日露の戦役で満州方面へ進撃の通過と何回かの悲運に遭遇、朝鮮戦争では米ソ冷戦の結果、南と北で戦い、おまけに援軍と称し中国軍の侵出を許している。実に気の毒、現在も国土は二分され、お互いにいがみ合わされ、戦わされている現状なのだ。考えれば全朝鮮民族の国民性がどうなるか?うまく、世渡りをしなければ生きていけないのは、当然なのだ。ご同情に耐えない。ただ、変な理屈をつけて騒げば騒ぐほど品格を疑られ、その火の粉を日本に向けるのは、感心できない。 

 わが日本では島国で幸いにも朝鮮半島のような仕打ちは殆ど受けていない。そのおかげでよく言えばお人好し、悪く言えばノーテンキ。向こうではそうはいかぬ。大統領のイス危うさに、一般文明国では想像が出来ない無礼な天皇陛下謝罪発言(あとで言い訳があっても肚は見え見え)をしたり、決着済みの慰安婦問題(当時の女衒[ぜげん]の説明が必要だが詳細は略す)や勝手に一本棒を引いて奪った竹島に建造物まで造り、その領海まで占有の暴挙に出る。北では拉致、遺骨収集、ミサイル、核、金(かね)になるものなら何でもと、その国民性は、まことにいじましくも悲しき隣人たちだ。日本では韓国映画ブーム、おばさんの追っかけまで出るとか、ニンニクプンプン韓国料理全盛で、大久保界隈は韓国街となり賑わっているそうで、結構なことだ。また、わが国ではお金までお手伝いしているそうだ。しかし、日本の歌、映画、ゴルフなどは殆どお呼びでないし、変な展示館や人形まであるそうで悲しいことだ。

 とにかく、周りには他にも、また違うエゲツナイ国民性の連中がいるのだから、国防上も日米韓の軍事同盟は極めて重要なのだ。だから、悲しき隣人とは、がまんにがまんを重ねても、仲良くつきあわねばならぬ実状に、当方はさらに悲しいのだ。