2012年(平成24年)9月20日号

No.551

銀座一丁目新聞

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花ある風景(468)

 

並木 徹

 

青山杉雨の書に魅せられる
 

 「青山杉雨の眼と書」展を見る(9月7日・東京国立博物館・平成館)。加藤周一は『芸術においては、心が形を生み出すのではなく、心が形になる」と言いきっている。とすれば青山杉雨の書は青山の心がそのまま形となったのだろうか。絵のような多彩な書を前にして青山は喜怒哀楽の激しい、すぐれて人間的な人らしいと思わざるをえなかった。見事な美的感覚、鋭い感受性に圧倒された。

 杉雨の傑作のひとつの数えられる「春望」(杜甫)の書の前にたたずむ(昭和56年作)。
 「国破山河在城春草木深感時花濺涙
  恨別鳥驚心烽火連三月家書抵萬
  金白頭搔更短渾欲不勝簪」

 細身の字形で、薄墨で三列に書き下している。私には崩してあって読めない字もあった。全体としてはバランスがとれて二行の空間が絶妙である。

 島崎藤村・「千曲川旅情」(平成4年作)に足が止まる。戦争中小諸の近くで長期演習の名目で滞在、訓練の日々を送った。浅間山を朝な夕なに拝んだ。杉雨も若い時、浅間山のスケッチに軽井沢や小諸を訪れている。「小諸なる古城のほとり雲白く遊子かなしむ・・・」
の詩が8行でまとめられている。「誇張された漢字にやや控えめ仮名が調和した」と解説される。このような調和体作品を杉雨はこの書と「田中冬二詩」しか発表していない。
「旭日昇天」(平成元年作)は見るからに絵画である。かねてから心に惹かれていた古典文字いわゆる篆書の形象性をモチーフにした作品である。三つの日の字が大きさは違うが○に点が付けられている。「宣子孫」(しそんによろし・平成3年、79歳の作)もこの系列の文字である。ユーモラスな題である。解説には「この作品の生命力の源は、運筆の強弱や墨量の潤渇に加え、筆線の躍動感にあるだろう」と言い、「杉雨書法の美学の、一つの到達点が示されているといえよう」と激賞する(鬼頭翔雲)。

 「臨石鼓文」12幅(昭和62年作)に目がゆく。杉雨の篆書の原点は石鼓文にあるそうだ。臨石鼓文と言えば呉昌碩だが、それにプラスαをつけて解釈をしたのが杉雨だという。

 呉昌碩の書が4点展示されてあった。その中で「臨石鼓文軸」(清時代・1909年作)が目を引いた。観ていて飽きない。39文字すべてが踊っている。呉昌碩は56歳で安東県(江蘇省)の知事になったがあまりにも腐敗した官界に耐えられず1ヶ月で辞職、あとは書画篆刻で生計を立て84歳で亡くなるまで創作に励んだという。

 青山杉雨展の招待状をいただいたのは医者で篆刻をしている星野利勝君であった。同行の霜田昭治君が篆刻をよく勉強していると感心する。聞けば7年間、篆刻に打ち込んだ時期があったそうだ。このような展覧会は心が豊かになる。『心が形になる』のは書が最も明らかなような気がする。書がうまくなるにはまず己の心を磨くのが先決かもしれない。