花ある風景(466)
並木 徹
井上ひさしの「芭蕉通夜舟」考
原作・井上ひさし、演出・鵜山仁・こまつ座の「芭蕉通夜舟」を見る(8月23日・新宿紀伊国屋サザンシアター)。芭蕉を描くのに「通夜舟」と題をつけた井上ひさし文学の奥深さを感じる。鵜山仁は「間近に死を強く意識した時人間の表現は一体どこへ向かうのか」と井上ひさしが問いを投げかけたという。とすれば、主題は『枯野』か。死ぬ4日前に「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」を作っている(1694年・元禄7年10月8日・享年51歳)。風雅と旅に心を責め抜いた芭蕉最後の句である。「枯野は追い続けた寂の美の象徴であった」と暉峻康隆は説いた。その1ヶ月前の句「秋深き隣は何をする人ぞ」を読めばおのずと芭蕉の心境が読み取れる。
舞台は「私は芭蕉を演ずる坂東三津五郎でございます」と風変わりな口上で一人芝居36景が始まる。名句がどのように作られたかわくわくしていた。『古池や蛙飛び込む水の音』。何匹もの蛙が柳に飛び上がる風景が出てくる。三津五郎が柳を巧みに操る。それにたくさんの蛙が飛びつく。「ゲロ、ゲロ」と泣く。ユーモラスである。一瞬、俳句に出てくる蛙は一匹ではなく複数かなと思う。ものの本によれば初めに下の7・5が出来た。上の5を其角が『山吹や』とするも芭蕉は採らなかった。
漂泊の詩人は1689年・元禄2年3月22日「奥の細道」の旅に出る。時に46歳。『月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ馬の口とらえて老いをむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす・・・』なるほど芭蕉は舟の上に生涯を浮かべていた。通夜舟が出てくるのも不思議ではない。旅中吟の初めは「行く春や鳥啼き魚の目は泪」である。「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」に芭蕉は苦吟する。「しみこむ」か「しみいる」か・・・。ここは山形領の立石寺。慈覚大師が開基したところ。岩上の院々扉を閉じて物の音聞こえず崖をめぐり、岩をはひて、仏閣を拝し佳景寂寞として心すみ行くのみ覚ゆと「奥の細道」にある。“しみいる”とは「蝉の声と一つになって芭蕉の心は、岩を貫き地球の奥深く浸透してゆく」と東大教授小森陽一は解説する。凡人にはこの「しみいる」の表現は出てこない。えらいものだと感心してつくづくと三津五郎の顔を眺める
旅に出て3ヶ月余り後の7月4日、越後出雲崎で詠んだのが「荒海や佐渡に横たふ天の川」である。佐渡には順徳院など有名な人々が流罪になり悲運に泣く。また金山で人間の喜怒哀楽が渦巻いた。そんな人間世界の些事とかかわりなく広々と、天の川が佐渡島にかけて横たわっている。『蒼古雄大な古典的味わいを持っている』とある解説書にある。想を得て三日後の句だという。
「便座」が舞台に出てくるのも井上ひさしらしい。「天上天下唯我独尊」の場でもあるが「ただの人」を示す場所である。俳聖と言えども人間だと井上ひさしは教える。17文字の世界に生きた男は通夜舟に乗せられて遺言通り大津の義仲寺に向かい、同寺で葬儀が行われた。「招かざるに馳せ参じたるもの3百余人」と言う。弟子の其角は「なきがらを笠に隠すや枯尾花」の追善発句を残す。平成の世、弟子を自称する男は『向日葵の先に1945年の恋』の句を作る。
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