2012年(平成24年)8月1日号

No.546

銀座一丁目新聞

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追悼録(461)

友人米山貢司君逝く

 

 毎日新聞の東京版(7月18日)に友人米山貢司君の訃報が載った。『米山貢司さん 83歳(よねやま・こうじ=元毎日新聞プロモーション本部次長兼「くりくり」編集長)13日、肺炎のため死去。葬儀は近親者のみで済ませた。喪主は妻美智子(みちこ)さん社会部副部長、静岡支局長などを務めた』

 初めて一緒に仕事をしたのは昭和30年だと思う。甲府韮山付近を襲った台風取材であった。川が氾濫して村が孤立したというので濁流の中を胸まで水につかりながら甲府支局の米山君、写真部の接待健一君と3人で村まで行き話を聞いた。

 今振り返ってみるとこの取材が記者生活の中で一番恐怖を感じた。濁流に何回も流されそうになった。必死であった。数年前、接待君が「当時の取材写真を持っている。記念に差し上げます」と言っていたが、そのままになってしまった。この取材がきっかけとなって米山君は社会部へ来た。その縁を作ったというので米山君は私をなにかにつけ得とした。米山君にとってこの台風取材が記者生活のキーポイントであったのだろう。よくこの台風取材話が出た。一緒に麻雀もゴルフも楽しんだ。たいやきが好物であった。我が家を訪ねてくる際には必ずたいやきがお土産であった。いずれ涼しくなったら彼を偲ぶ会でも開かねばなるまい。昨年までに一緒に察回りをした毎日新聞の仲間が私一人を残してあの世に旅立ったが、ここへ来た後輩たちまでもが次々に死に急ぐようである。

 『炎暑や南無阿弥陀仏友が逝く』悠々


(柳 路夫)