2012年(平成24年)5月10日号

No.538

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茶説

関晴子さんのショパン『夜想曲』を聞く

 

 牧念人 悠々

 小雨の降る春の夜、関晴子さんのピアノを聞く(4月26日・ルーテル市ヶ谷センター)。曲目はショパンの『夜想曲』など。彼が作曲した『夜想曲』は20。はじめに4番ヘ長調べ/第5番嬰ヘ長調べが演奏される。関さんは静かな所作ながらも凛として鍵盤に向かう。その調べはまことに詩情豊かで胸に切々と響く。いずれもショパン21歳の作品、この品格のある雅やかさはどこから来るのであろうか。彼の母国ポーランドは興亡の歴史を繰り返す。このころ母国の危急に友人たちは帰国するが、ショパンは憂国の至情を音楽にぶつける。青春時代に歌った歌を思い出す。『淋しき里に出でたれば/ここは、何処と尋ねしに/聞くも哀れや、その昔/亡ぼされたるポーランド』(落合直文作・「波蘭懐古」)。哀調帯びた歌詞であった。

 「幻想曲 ヘ短調」作品49。ショパン31歳の作品。恋人の作家、ジョルジュ・サンドの家で作曲された。いただいたプログラムの解説には「彼の抱く哀愁や望郷、誇り、祈り、勝利といったポーランドへの愛国心と想いは、幻想曲の中で純粋な音楽へと浄化された」とある。このころの二人の愛は絶好調であったといわれる。愛の道は果てしない。果てるところにあるものは憎しみか、別れか。ショパンは作品を神秘性に描く。愛はショパンの芸術性をさらに高めへといざなう。聞く人を幻想の世界へ引き込む。

 後半、演奏された夜想曲「第17番 ロ長調」は「幻想曲 ヘ短調」より5年後の作品。サンドとの恋も陰りを見せ、結核の病状もおもわしくなかったのに創作意欲は衰えていない。ショパンは自分をそのまま音楽に見事まで投影する。曲に陰影を出し妖しさを表現する。ショパンは死ぬまで“音楽の詩人”であった。

 『春の宵 魂揺すぶる ピアノの音』悠々

 音楽会の後、数日経ずしていただいた関さんからの葉書には「演奏のコントロールの難しさを痛感しましたが、終始、守られ、支えられていることを感じつつ皆様からの熱い拍手に感謝でいっぱいでございました」とあった。関晴子さんはあくまでも謙虚である。その姿勢がそのまま今回のピアノに表現されていた。

 帰途、「波蘭懐古」の一節をつぶやく。「咲きて栄えし古の/色よ匂いよ、今いずこ/花の都の、その春も/まこと一時の夢にして」