2012年(平成24年)5月1日号

No.537

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

 

花ある風景(453)

 

並木 徹

 

 佐久権現山の碑前祭り開く
 

 恒例の佐久市の権現山の碑前祭は、昨年につづいて1泊2日の日程で開かれた。(4月24日、25日)。北海道、東海区から合計16名の同期生が参加した。日の丸の旗と59期生の旗を掲揚する。4月の風に旗、翩翻とはためく。佐久の春は遅く桜はまだつぼみ、こぶしの花は咲き始めたばかりであった。碑前祭の始まる1時間前長野市に住む島田信夫君と高見沢進君が碑の周りの雑草を鎌で刈ってくれた。さらに驚くことには前日,小雨降る中を軽井沢の別所末一君とたまたま彼のところに遊びに来ていた仙台の林照夫君が雑草をあらかた刈ってくれていたそうである。さすが同期生である。

 「木も人もふたたび芽を吹く同じ位置」(絆)園部忠

 この地に南御牧村の村長であった依田英房翁が陸士59期生の遙拝跡を建設されたのが昭和41年であった。南御牧村の国民学校に本科15中隊と16中隊の歩兵4区隊が寝起きした。この日16中隊の上野明男君が参列した。これら歩兵の士官候補生たちが朝な夕なに皇居・故郷の両親へ遥拝した。

 その姿を心に留められた依田さんが59期生の殉皇の姿を世に伝えることによって日本再建の糧として青少年への訓えにしようとされた。しかも世の中が落ち着いた戦後21年後にその碑を建設された。私たちは依田翁のその志に感謝を捧げるために毎年ここにきている。

 まず依田英房翁に黙祷を捧げる。次いで初参加の古屋康雄君のハーモニカ演奏で「海
ゆかば」と「校歌」を合唱する。碑前祭が終わって周りを逍遥する。碑には次のようにつづられている。「八月十五日万世泰平ノ聖詔ヲ奉ジテ遂ニ皇軍悉クガ矛ヲ止ムルニ至ヤ当隊亦斯ノ山上ニ慟哭解体シテ遂ニ四散ニ及ビタリ爾来茲ニ二十年刻シテ其ノ芳ヲ後昆ニ流フ」。
 「権現の碑文は錆びて風光る」園部忠

 その夜、佐久市内の温泉ホテルでの懇親会では古屋君のハーモニカ演奏に合わせて軍歌などをうたったが「碑前祭を続行するかどうか」の議論が出た。私は年々参加者が少なくなり今年あたりが最後かと思っていた。北海道の野俣明君は「振武台の記念館、相武台の資料室はあくまでも資料である。権現山は心のよりどころである。大切にしなければいけない」と言う。別所君は「権現山は聖地である」と言い切る。依田翁は『その芳を後世に伝える』と刻した。どのような形であれ碑前祭は毎年開かねばなるまいと私は思い直した。

 「ながらえて信州佐久に春惜しむ」園部忠