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「震災後店減る町を雁帰る」八牧美喜子
牧念人 悠々
東日本大震災による避難者は34万4345人に上る(3月末)。震災後1年以上たつというのに苦労を余儀なくされている人たちがまだ34万人もいる。友人小林次男君を通じて送られた八牧美喜子さんが主宰する俳句雑誌『はららご』(冬春号2012年)にも「避難」を読んだ句が少なくない。死者1万5854人、行方不明3089人の犠牲者を出した震災の記憶は残っていく。『はららご』から「避難」の句を取り出して見る。避難者の生活の様子を垣間見ることが出来る。
避難の家見る人もなき晩菊咲く(持舘美津恵)
避難先すする雑炊屑菜も入る(大坂君江)
忘年会避難より友加はれり(深野カツイ)
避難地に絆生まれて松飾る(高倉早智子)
句集には東日本大震災作品というページもある。作者達が自分の身の周りで起きた出来事をつづっている。相馬の佐藤定一さんは書く。「震災から1年近く経過したが、相馬市内は放射線量の影響から野鳥の数は激減、今までやってきた椎茸栽培はできず、山菜は採られず枇杷・柿・柚子等は捥がず終異である。私の家から1q以内に一千五百戸ほどの仮設住宅があり、相馬市・南相馬市・飯館村・浪江町の人たちが避難している」。野鳥が激減とは驚きである。鳥は危険予知に長けているのであろうか。我々は動物・鳥類とは共存しなければいけないということであろう。
避難者の冬菜畑や爺と話す (佐藤定一)
成田・官林千枝子さんの文章。「嫁として70年、あの家で余生を寧らかにと希っていたのに、運命はあまりに厳しくなす術もなく毎夜星を見上げて、これほど悲しい涙を流したことはありませんでした」。後期高齢者には自然災害は極めて深刻な打撃を与える。
避難替へさすらいのごと夏の果(官林千枝子)
避難地のここが我が家よ小鳥来る(同じ)
南相馬 ・小沼静子さん。「3月18日に1,2週間の心積りで慌てて会津の山奥・柳津町の実家に転がり込み、結局3週間厄介になりました。一方、長男が避難者用の住宅を借りられたからと迎えにきたので4月9日に茨城県ひたちなか市に行き、現在に至っています」
避難してひっそりすする根深汁(小沼静子)
この被災地の人々の俳句には胸を突かれる。その上、被災地の瓦礫の処理遅々として進んでいない。地方自治体の長が瓦礫の引き受けを躊躇し、さらに、住民たちのエゴによって瓦礫の引き取り場所が得られない。とくとこれらの俳句を味わってほしい。
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