花ある風景(451)
並木 徹
三都画家くらべ展を見る
京都・大阪・江戸の三都の画家くらべと言う面白い企画展があるというので府中美術館に出かけた(4月6日・料金700円)。
それぞれの気象風土はその土地に相応しい文化を生む。展覧会の主催者はその画風を京は「優雅」、大阪「明瞭」、江戸「抑制」と解説する。文人画の大家池大雅、与謝蕪村は共に京都である。大雅の『十便詩』蕪村の『十宜詩』はあまりにも有名。「優雅」と言ってもよいかもしれない。大阪生まれの私は大阪の画家の画風に惹かれる。それは「反骨」「諧謔」である。歌川広重の「東海道五十三次之内」を見ると、詩情豊かで情緒を感じる。「旅情」と言う表現が良い。頂いた画家の三都の色分けを見ると京17人、大阪16人、江戸21人となっている。
円山応挙の「湖山煙靄図」が目につく。山水画である。明和9年(1772年)の作とある。このころ応挙には雪松図(1765年),七難七福図卷(1768年)写生図卷(1771年)遊虎図遊鶴図襖絵(1787年)などの作品がある。応挙は丹波国穴太村の農家に生まれで、京の呉服屋に奉公する。初めは狩野派を学びのちに西洋画法を修得、寺の蔵画を模写し中国の古画や清画の写実技法を学んだという。
狩野山雪の「寒山拾得図」。寒山が経卷を披き、拾得が側に寄り添っている図柄である。いずれも唐代の禅僧で奇行が多いので知られる。寒山詩は有名である。
寒山頂上月輪弧
照見晴空一物無
可貴天然無価値宝
埋在五陰溺身躯
狩野山雪は肥前国の武士の子として生まれ狩野山楽の養子となる。京狩野2代目。個性的な画を描く。多くの著作を残す。
耳鳥斎(にちょうさい)の「地獄図卷」が足を止める。大阪で酒造業を営み後に骨董商となる。安永年間から天明年間を最盛期として活躍軽妙な筆致と確かな描写力で風刺に富んだ戯画を数々描いた。
「閻魔図」を描いたのは佐藤魚大である。山水、人物を描き戯画を得意とした。
岡田米山人の「松下牧童図」にひきつけられる。松の木のそばで牛の背に乗った牧童が笛を吹いている図である。どこかユーモラスであった。岡田は米の商人。山水画に長じ奇抜で飄逸な画風を見せる。
『画家解説』を見ると知らない画家がたくさんいる。佚山(いつざん)もその一人である。元禄15年(1702年)から安永7年(1778年)、76歳まで生きた人。「ボタンと蝶」の絵がある。40歳から絵を志し47歳から3年間長崎に滞在、そのあと京都、大阪に住み、京都で亡くなる。山水、南蘋風の花鳥画などの作品があるという。私にとって無名な画家の絵ほど新鮮であった。
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