2012年(平成24年)2月20日号

No.530

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茶説

市場原理主義が猛威をふるっている

 

 牧念人 悠々

 NHKテレビの「マイケル・サンデルの究極の選択」(2月18日)を読書しながら見ていたらどうも世界中に市場原理主義が猛威をふるっているように思えてきた。

 アメリカで民間の消防隊が火事の現場にいながら会員でないからと消火活動をしない映像が流される。被災者が嘆願しても消火活動を拒否する。日本では考えられないことだと出演者は言っていたが「民間会社だから当然だ。料金を払っていないのだから仕方がない」という意見の方が強かった。どうであろう。人が災難に遭っていたらこれを助けるのが人情ではないだろうか。人間としての崇高な義務かもしれない。「惻隠の心」といってもよい。東日本大震災の際、津波の襲来に対して最後まで防災放送を続けて帰らぬ人なった女性がいた。また住民の避難誘導を優先して犠牲となった自衛消防団員も数少なくいる。公務員、金銭には関係のない事柄だと思うのだが・・・

 さらに徴兵制度が義務化され息子が危険な戦場へ行かされた場合どうするかという問題も提起された。ある出演者はお金を出して誰かに変わってもらいかもしれないと答えていた。ある出演は東電の第一原発の事故現場が戦場さながらである。事故処理に作業員はお金を頂いて働いているのだが、それだけですまされる話ではないだろうと疑問を出していた。この番組には色々と考えさせられた。

 世の中も変わったものだと思う。公のために尽すという精神がどこかへ消えてしまったようである。国が存亡の危機に若者が戦場に行くのは義務であり当然である。かなり前のことだが、アメリカの大学生が大東亜戦争での日本の若者の特攻の話を聞いて「日本には国のために死んでゆく若者がいる」と感心、見知らぬ日本人学者に話しかけたという。

 資本主義はいつの間にか市場原理主義に走り出し利益を上げることを至上主義とするようになった。アメリカのリーマンショックがその典型的な事例であった。市場原理主義が我々の精神世界の中にも浸透してきたということであろう。

 人間は何のために生きるのかという問題を現代人は改めて問い直さなければなければならない。