2012年(平成24年)2月20日号

No.530

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追悼録(445)

ある新聞の死亡記事

 

 長野県下伊那郡喬木村に住む兄の死亡記事が読売新聞の地方版の「おくやみ」欄に掲載された(2月14日・12版南信2)。兄と同じく掲載された方は46人もいた。記事には「喬木・牧内誠さん11日。88歳、式14日14時30分阿島の平安祭典喬木斎場、自宅加加須5689のロ、喪主長男で西友飯田鼎店勤務、秀夫さん」とあった。一般的には新聞の死亡記事は著名士でなければまず載らない。読売新聞の場合、PRも兼ねた販売拡張の意味合いが多いのであろう。私が兄の死を知ったのは11日午後6時ごろ、亡くなった末弟(昨年1月死去)の嫁さんからであった。13日午後5時半から通夜、午前10時30分納棺、火葬、午後2時30分から一般告別式、3時半から葬儀と言う段取りであった。兄の戒名は『牧内誠大人命(うしのみこと)』。神式で行われた。葬儀のやり方は仏式とはすべてが逆のやり方である。伊那地方独特だそうだ。全国でも二つか三つしかない葬儀の方法と言う。

 通夜も一般の人を入れずに親族親戚16人だけで行われた。二つ上の兄とはハルビンの小学校も一緒だし、中学校は同じ寄宿舎から同じ大連2中に通学した。男兄弟7人のうちで一番一緒にいる機会が多かった。通夜での納棺には私は杖を入れた。「兄の通夜語るハルビン雪の中」。

 葬儀は喪主が西友の店長、弟の勇次君が三菱電機飯田工場に勤務しているというので盛大であった。

 読売新聞の「おくやみ」の欄を見て気がついた。日本は高齢社会になったと今更のように痛感した。死んだ方たちの年齢は104歳1人、90歳以上10人、80歳以上23人、70歳以上4人、60歳以下8人であった。もちろん今年は30年ぶりの寒波の襲来でその寒さが後期高齢者にこたえたようでもある。

 誠兄の死で7人いた兄弟も4歳下の弟と二人だけになった。帰りの列車の中で読んだ「聊斎志異」では主人公が猟師に捕まった「のろじか」を助けたことから生き返る話が出ていた。今後はせっせと善行を励むことにしよう・・・・そう思いつつ降りた中央線国分寺駅の夜風は無性に冷たかった。




(柳 路夫)