1998年(平成10年)12月1日(旬刊)

No.59

銀座一丁目新聞

 

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“針の穴から世界をのぞく(5)”

 ユージン・リッジウッド

殺人者、それとも殉教者?

 [ニューヨーク発]夜のしじまを破って銃声一発、閑静な住宅街のとある住宅の明かりの灯ったキッチンの窓ガラスが砕け散り、冷蔵庫から飲み物を取り出そうとしていた一人の男が半ば開いた冷蔵庫のドアに手をかけたまま一瞬にして崩れ落ちた。ナイアガラの滝に近いニューヨーク州バッファローの産婦人科医バーネット・スレピアン(51)が“神の軍隊”を名乗る狂信者の凶弾に倒れた瞬間だった。1023日午後10時過ぎのことである。

 それからちょうど一ヵ月。眼光鋭い初老の男が低く重い声で「この男は今刻一刻と死に近付いている」とビデオカメラの中で断言しながら、右手に持った注射器を掲げた。まもなく男は「彼は死んだ」とカメラに向かって宣告した。元病理担当医師ジャック・ケボキアンが自らの手で薬物を注入して難病に悩む男の命を奪った瞬間だった。全国ネットCBSがその一部始終を放映したのは11月22日午後7時過ぎのことであった。

 命を奪われた医師と命を奪った医師。一ヵ月の間に二人の医師は全米いや全世界の注視を浴びることになった。

 産婦人科スレピアン医師は訪れる患者の信頼厚く、勇気ある医師のお手本のような医師だった。中絶に関しては医師も患者もほぼ完全な自由を享受できる日本では想像しがたいことだろうが、アメリカで中絶を施す家族計画医は常に死の恐怖と対峙した生活を強いられている。それというのも、医師たちは国家の法執行者ではなく、狂信的な“神の法執行者”に監視され、暗殺の標的にされているからである。

 神の法執行者の論理はこうだ。妊娠により生まれてくる命は神の送った命であり、いかなる人間もそれを奪うことは許されない。神が送る命を奪おうとする者は神の法に抗う殺人者であり、よって神の軍隊によって抹殺されなければならない。かくして全米各地で無差別的に中絶医が襲われ、時には居合わせた妊婦も胎児と共に爆破や銃弾の巻き添えを食う。犯人追求に懸命のFBIがバッファロー地区の医師たちに警戒を呼びかけたその最中に発生した事件は全米に大きなショックを与えた。脅迫や殺害が続けば、中絶を施す産婦人科医が減少するのは自明の理である。それはとりもなおさず神の軍隊の狙うところである。モーニングアフターや妊娠数ヵ月でも有効な中絶薬が公認される一方で、中絶医と妊婦の命を狙う狂信者の存在は、あたかも目に入った異物のごとく、民主主義国アメリカに大きな痛みをもたらしている。しかし異物集団は保守主義者の幅広い中絶拒否症に支えられて、その衰えを見せる気配がない。

 

 一方ミシガン州オークランド郡の医師ケボキアンは、1990年ごろから自分が開発した自殺装置を自殺志願者に与え、これまで120回以上にわたって自殺幇助をしてきた。自分が見守る中で患者に装置の綱を引かせる。それにより患者の体内に薬物が注入され、まもなく患者は死に至る。ケボキアンはこの自殺幇助の行為で何度も殺人あるいは殺人幇助の罪で起訴されたが、裁判で重罪になることはなかった。確信犯ケボキアンは安楽死を公認させ、合法化させる闘いを神に与えられた使命のように挑み続けるのである。

 しかし既に70歳のケボキアンは“わが闘争”の余命いくばくもないことを知ってか、今回は自らの手で患者に薬物を注入して死亡させる自殺幇助いや“殺人”そのものにエスカレートさせ、それをビデオに撮って三大ネットワークの一つCBSの看板番組「60分(シックスティー・ミニッツ)」で放映させたのである。放送があった11月22日から3日後の11月25日オークランド郡検事は放映テープの検証の後、ついにケボキアンを殺人容疑で起訴した。それはまさしくケボキアン自身の望むところだった。もし裁判で無罪になれば、オークランド郡は安楽死の聖域になるとケボキアンは挑発する。一方もし有罪になれば、重罪確定で終身刑は必至だが、「そうなれば自分はハンガーストライキによって、自らの意志で獄死を選ぶ」と宣言する。

 世間の反応はどうか。回復の見込みのない難病に苦しみながらも意識、思考力ともに確かな患者たちが一日も早く神の下に帰ることことを望む気持ちを理解する人は多い。kuzuhana.gif (9575 バイト)その苦しみを見ながら有効な救いの手段なく放置するのは法の下での拷問だと考える人もいる。このために不治の病に苦しむ患者に安楽死という“救いの手”を差し伸べてきたケボキアンを殺人犯扱いは出来ないと見る人も少なくない。しかしこれまでケボキアンの弁護にあたり、少しずつ終末期患者に対する世論作りをすることで安楽死幇助の道が開けるようにと活動してきた弁護士は、今回のケボキアンの行為を「自分を殉教者にみたてた一人よがりの行為だ」とみる。理解ある弁護士をも離反させたケボキアンは、裁判では弁護士を排して自ら弁護人を務めるのだといきまく。

 

 患者の望むところに沿うべく行動した二人の医師。一人はその行為故に神の軍隊によって命を断たれ、一人はその行為故に獄死を賭けて闘う。果たしてあなたは二人の医師を求むるや?それとも二人を断罪するや?

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