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小さな個人美術館の旅(55) 池田20世紀美術館 星 瑠璃子(エッセイスト) その名の通り、今世紀に制作された作品だけを集めた池田20世紀美術館は、東伊豆ただひとつの人造湖、一碧湖近くの別荘地に立つ美しい美術館である。実業家、故池田英一氏が建物とコレクションの大半を寄贈し、1975年に開館した。 知人の別荘がすぐそばにあって、私がしばしばこの美術館を訪れたのはもう十年以上も昔のことになるだろうか。伊東に近いので、この辺りへは海の方から来るのが普通なのだが、私はいつも伊豆スカイラインを通って山から下りて来た。山桜や紫陽花や紅葉に彩られて、どんな季節にも爽やかなこの山の道が大好きだった。芦の湖を見下ろしながら走り、十国峠のあたりでは大きくブランコをこぐように空に向かって駆け抜ける。この道がいつ来てもおよそ混雑するということがないのは、東伊豆へ行くのにわざわざ遠回りして山越えをするというのがちょっと酔狂なことだったからかもしれない。 知人は亡くなり、私は久し振りの山越えとなった。峠のレストランで遅い昼食をとり、はるかに光る海を見下ろしながら、まあるい大室山を巻くようにしてようやく美術館前に続く道に出た。懐しいその道には「けやき通り」なんて名前がついていて、かつてはほっそりと若木だった並木もすっかり大きくなって見違えるようだが、ステンレス・スチール張りのキュービックな建物は昔とちっとも変わらず、紅葉した木々の間にキラキラと銀色に輝いていた。 井上武吉の設計による美術館は、大きなガラス張りのエントランスから傾斜する地形を利用して地階へと続いてゆく陳列室まで、周囲の自然にマッチしながらもいかにもモダンだ。収蔵作品は千二百点余り。ルノワール、ボナール、ピカソ、レジェ、マチス、ミロ、シャガール、ダリ、ベーコン、ウオーホール、リキテンスタイン等々の外国作家の五百四十点と、日本の作家は福沢一郎、難波田龍起、駒井哲郎、浜口陽三、猪熊弦一郎、池田満寿夫など六百七十点から、テーマに応じて百点前後を常設展示する他、年に四回、現代日本の第一線で活躍する画家の特別企画展を行っている。
この美術館はテーマを「人間」にしぼっているという。花とか自然とかではなく、「人間」を描いた作品を中心に展示するというのだが、いかにも二十世紀美術館に相応しい試みではあるまいか。前述の画家たちは表現主義、フオービスム、キュビスムを経て、未来派、ダダ、構造主義、アンフオルメル、ネオ・ダダ、ポップアート、コンセプチュアル・アート、スーパーリアリズム、パフオーマンス・アート、新表現主義、インスタレーション・アート……と数え上げたらきりがないほど目まぐるしく激しく変わる今世紀のさまざまな思想や表現のなかにあって、人間を凝視し、人間を如何に描くかに生涯を賭けた人たちだ。
たとえばピカソ。哀愁を帯びた「青の時代」から出発し、ブラックらとキュビスムを起こして一時代を画した、それこそ今世紀を代表する画家だが、キュビスム以後もさらに新古典主義、シュールレアリスムと作品を千変万化させながら、彼がつねに立ち向かったのは「人間」だった。 ルオーもそうだ。分厚いマチエール、底光りするような複雑な色彩と黒く強い輪郭線で描いたのは、キリスト=神というよりはやはり「人間」。「人間」の悲しみだった。かつての日々、くりかえしルオーばかり見ていたのを思い出した。今日かかっているのは「流れ星のサーカス」のシリーズだ。あの夢見るように透明で幻想的なシャガールだって、彼が亡命ユダヤ人としてなめた困難を思えば、人間や社会へのそれがギリギリの表現だったという気がする。人間存在の内奥にひそむ不気味さをえぐり出したようなフランシス・べーコン、フンデルト・ワッサーに私が初めて出会ったのもここでだったかもしれない。 二十世紀――。私たちが生き、やがて終わるこの百年は、いくたびかの戦争によって瓦解と建設をくりかえしてきた。つきつめてゆくほどに「人間」は解体したが、それでも画家たちは新しい創造へ向かって血と汗を流し続けた。来るべき二十一世紀に向けて、私たちはどんなふうに「世界」を「人間」をつくってゆくのか。時代とともに生き描いた画家たちのいわば証言の美術館を巡りながら、そんなことをしきりに考える。
星瑠璃子(ほし・るりこ) このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。 www@hb-arts.co.jp |