2011年(平成23年)12月20日号

No.524

銀座一丁目新聞

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安全地帯(344)

信濃 太郎


軍歌「同期の桜」考


 軍歌集『雄叫』(偕行社・昭和32年12月1日発行)には『同期の桜』の作詞は西条八十になっている。これはあきらかに間違っている。「同期の桜」の歌詞の一番は次の通りである。

1番、貴様と俺とは同期の桜
   同じ兵学校の庭に咲く
   咲いた花なら散るのは覚悟
   見事散ります国のため


 西条八十は似た様な歌を作っている。昭和13年1月号雑誌『少女倶楽部」に発表した詩「二輪の桜」である。

1番、君と僕とは二輪の桜
   積んだ土壌の陰に咲く
   どうせ花なら散らなきゃならぬ
   見事散りましょ皇国のため


 確かに「同期の桜」と似ているが、人称も違うし、同期の桜の言葉もない。場所も兵学校と明示していない。

 この「二輪の桜」に昭和14年7月、大村能章が作曲してキングレコードから「戦友の唄」として発売された。これが爆発的に売れ出したのは昭和16年以降でのようでる。西条八十作詞の「戦友の唄」を聞いて歌詞を変えて歌った人物がいるはずである。防衛庁戦史室戦史編纂官野村実さんが海兵71期(昭和14年12月1日入校・昭和17年11月14日卒業)クラス会誌に次のような事実を明らかにしている。「我々の多くは帖佐裕君(71期・大尉・戦後銀行の重役)がこの作詞作曲者だと考えている。帖佐君がある週刊誌の記者の質問に『作ったのは兵学校のころでした。昭和16年か昭和17年のころです。江田島にクラブがあってレコードがあってメロディーを覚えたのです。今の「同期の桜」の曲です。歌詞は「君と僕は二輪の桜」です。それに「貴様と俺は同期の桜」と付けて「同じ兵学校の庭に咲く」と歌った。まず同期の連中に広まり、さらに潜水学校に行って「同じ潜校の」にしてから相当広まったようです」。これを見ると、作曲は大村能章で作詞は西条八十の歌詞を帖佐裕大尉が補筆したことになる。

 ところがもう一人作詞者は俺だと名乗りを上げた人がいる。茨城県日立市に住む槇幸(旧姓岡村・潜水艦勤務・兵曹長)さんが昭和17年の日記の巻末に「友情」と題するつぎの言葉書かれている。

1番、貴様と俺は同期の桜
   同じ潜校の庭に咲く
   咲いた花なら散るのが覚悟
   見事散ろうよ国のため


 この歌詞は槇さんから戦友の故海軍少尉奥田省二さんに昭和18年4月和紙に毛筆で書いて贈られている(坂本圭太郎著「物語・軍歌史」・創思社出版)。

 私は最初に補筆したのは帖佐裕さんだと断定する。そのあとから槇さんが多少文句を変えたようである。「同期の桜」は江田島の兵学校から歌いはじめられ、大竹の海軍潜水学校、各海兵団へと広がるうちに多少歌詞が変わったように思われる。

  「同期の桜」は今でも歌われている。「同期」と言う言葉に人々は深い絆を感じ、愛唱した。これからも歌われるであろう。歌の力はまことに不思議である。