2011年(平成23年)12月20日号

No.524

銀座一丁目新聞

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山と私

(82) 国分 リン

― 2011年・私にとっての山々 ―  

 蔵王スキー場で迎えた3月11日の東日本大震災と、私の故郷・福島県を襲った原発事故、大雨災害の紀伊半島、タイの大洪水と、恐ろしいほど自然の脅威を感じた2011年、この年に生涯私は忘れられない山行をすることができた。雪山の八ヶ岳・北横岳三つ岩を登り、また5月連休に雪の槍ヶ岳、7月に沢登りで新茅ノ沢、5度目の挑戦で登れた鳥海山、夢のジャンダルムを15時間かけて登ったこと。これはスポニチ登山学校で学んだ校則 

第一条 山に親しみ、山を愛し、山から学ぼう。 
第二条 登山の基礎技術をしっかり身につけ、心身を鍛えよう。 
第三条 常に情誼の厚い人間たれ。

 この登山学校の縁で片平講師と知り合えたことが、この様々な山行形態で登れたことは事実である。
本当に感謝の気持ちでいっぱいである。

 「山と私」を読んでいる同級生から「これはリンちゃんの山に対する思いを文章にしているのだから、自分らしさを重点でいいのよ。」と言われ、自分らしさとは個性や人としての重みとか深さを指すのか、考えたが、私なりの山や自然のことを書き続けることかなと思う。

 山登りと自然との関わりから健康にも繋がることを確信した人との繋がりも得た。
 東京女子医大准教授高橋しをり先生が「FRCC」登山を通じて、女性がん体験者を2001年より、月一回、主に第2日曜日を活動日として山行を行い、2009年4月で90回を数えます。ほとんどが東京を中心とした日帰り山行で、年1〜2回一泊ないし2泊の山行も行われる。全員が無理なく登山ができるよう計画され、複数の医療サポーター/山行サポーターも毎回同行する。山行計画は経験を積んだ山行リーダーにより山行委員会で毎年一年分の計画があらかじめ立てられる。「登山は競争しなくていいスポーツ。クラブのモットーは皆横並びになって楽しもう。」さっそく私にもできることがあったらお手伝いがしたいと、しをり先生に申し出をした。来年の目標ができた。

 福島渡利に住む姉のことを書きたい。40代半ばで看護師の資格を取り、老人介護に関わり、60歳でケアマネージャーの資格を「覚えられない。」と嘆きながら必死で取り、69歳まで老人介護に身を粉にして働いて、惜しまれながら退職し、これから旅行を夫婦で楽しもうと思った矢先に、夫のアルツハイマー発症を知り、年賀状に、病気と向き合う宣言をした姉に、思いもかけない大地震と原発事故が襲った。電話で様子を聞いても「皆元気で大丈夫だから心配ない。」との返事だった。12月になり、電話が来て「実は地震で家が壊れ大修復をしてやっと元のように皆で住めるよ。庭の柿やキューイは皆捨てたんだぞい。庭の土も凄いしナイ。原発なんていらねナイ」でも本当の用件は「NHKの介護の番組に出ることが決まったから。日時は後からナイ」

 介護する家族会を通して今も皆の話を聞いて相談にのっている姉。凄い人である。
実際介護に携わっている姉の話をぜひ皆様に聞いていただきたいと思う。