2011年(平成23年)12月1日号

No.522

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安全地帯(342)

信濃 太郎


毎日新聞社会部OB会開かれる


 毎日新聞社会部のOB会が3年ぶりに開かれた(11月22日。東京・神田・如水会館)。出席者はOB37名、現役記者を含めて合計130名ほどであった。用意された旧友会名簿を見ると、生存OBは448名だからOBの出席は少ない。そのうち近況を寄せた欠席OBは107名に過ぎない。今年は社会部が「大相撲八百長事件報道」で新聞協会賞を受賞した(代表・警視庁キャップ千代崎聖史記者)。毎日新聞は2009年8月、大相撲名古屋場所での維持員席問題をいち早く報道して以来、「力士達の八百長メール」などをスクープ、粘り強く事件を追求した努力が認められた。OBとして嬉しい限りである。

 会場で千代崎記者は「今この本を読んでいます」ト『ロキード事件 毎日新聞社会部全行動』(講談社刊・昭和52年2月20日第1版発行)を示した。「すでにあなたの後書「モンゴル型社会部長の独白」も読みました。非常に参考になります」と嬉しいことをいった。この本は当時、疑獄事件の取材の教科書になると言われた。挨拶に立った朝比奈豊社長(社会部のOB)は東日本大震災の直後、販売店を見舞い激励したと言う挨拶をする。販売担当役員であればすぐに販売店の見舞いは思いつくことだが編集出身の役員はそうはいかない。平成7年1月17日の淡路神戸震災の時、私はスポニチの社長であった。新聞を印刷する輪転機は大丈夫かと心配しても販売のことは考えなかった。毎日新聞の販売部はOBもが直ちに現地に駆けつけたという話を後で聞いた。私としては悔いが残ったのを覚えている。私は一番年長であると言うこともあって挨拶と乾杯の音頭を取らされた。挨拶では「戦後60年平和になれて常在戦場、常に最悪の事態に対処する心構えを忘れてしまった結果被災地の復旧・復興が遅れ、東京電力第一原発の事故に対する対応のまずさを生んでしまった。その中にあって自衛隊は最後の砦として、自己完結型の組織として立派な仕事を成し遂げた。国防にもっと関心を持ってほしい」と話をした。話が終わると平野裕君(元役員・毎友会会長・社会部OB)が「私も同感である」と賛意を表した。

 欠席したOBの近況を読むと体調を崩したり足腰の衰えを訴えたりする者が少なくない。

 「菱紅葉 老後も愉し このままで」(藤平信秀さん)の心境でありたい。

 この3年間の死者は28人を数える。今年の5月仲間の高橋久勝君が亡くなった。これで昭和23年、復活した社会部の察廻り記者10人の内、私一人になってしまった。まさに『幾山越え去りゆかば寂しさの果てなむ国ぞけふも旅行く』という若山牧水の心境である。