花ある風景(438)
並木 徹
八雲原作の絵本「TSUNAMI」
小泉八雲原作・キミコ・カジカワ再話・エド・ヤング絵の絵本『津波 TSUNAMI!』(グランまま社刊・10月28日発行)を見る(アメリカでは2年前に出版された)。見開きの絵が14枚。津波の危険を知らせる赤々と燃える稲むら、牙をむいた津波が村を飲みこむ様など力量感にはふれる。画家・エド・ヤングさんは現在80歳である。出版元の話によれば、2010年に版権を取得したが東日本大震災に出版を躊躇したという。このアメリカの絵本は小泉八雲が実際に起きた地震・津波に村人を救った“長者”のことを描いた『生神様』を原作にしている。この時の地震は安政元年11月4日(1854年12月23日)、駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とするM8.4という巨大地震をさす。
この地震が発生した年は嘉永7年で、当時の瓦版や記録はすべて嘉永としているが、この地震の32時間後にはM8.4と推定される安政南海地震が連続して発生し、さらに広範囲に被害をもたらせたため、この両地震から元号を嘉永から安政に改めた。年表上は安政となるため後に安政東海地震と呼ぶ。絵本ではじじ様となっているが実際には主人公は34歳の浜口梧陵(和歌山・広川の人)である。手記も残されている。12月5日の項には 『瞬時にして潮流半身を没し、且沈み且浮かび、辛うじて一丘陵に漂着し、背後を眺むれば潮勢に押し流される者あり、或いは流材に身を憑せ命を全うする者あり、悲惨の状見るに忍びず。然れども倉卒の間救助の良策を得ず。一旦八幡境内に退き見れば、幸いに難を避けて茲に集まる老若男女、今や悲鳴の声を揚げて親を尋ね子を探し、兄弟相呼び、宛も鼎の沸くが如し、各自に就き之を慰むるの遑なく、只「我れ助かりて茲にあり、衆みな応に心を安んずべし」と大声に連呼し、去って家族の避難所に至り身の全きを告ぐ』とある。今回の震災の被害・避難の状況と変わりがない。さらに続く。『匆々辞して再び八幡鳥居際に来る頃日全く暮れたり。是に於いて松火を焚き壮者十余人に之を持たしめ、田野の往路を下り、流屋の梁柱散乱の中を越え、行々助命者数名に遇えり。尚進まんとするに流材道を塞ぎ、歩行自由ならず。依って従者に退却を命じ、路傍の稲むらに火を放たしむるもの十余以て漂流者にその身を寄せ安全を得るの地を表示す。この計空しからず、之によりて万死に一生を得たる者少なからず。斯くて一本松に引き取りし頃轟然として激浪来たり。前に火を点ぜし稲むら波に漂い流るるの状観るものをして転た天災の恐るべきを感ぜしむ。波濤の襲来前後4回に及ぶと雖も、蓋し此の時を以て最とす』
絵本の最後は次のように結ばれている。
『村びとたちは、じじさまの恩をわすれないようにした。そして神社をたて、じじさまの名をきざんだ。「高台へはしれ」いらい。村びとのいのちをすくったじじさまことばと、つなみのおそろしさは、村びとのあいだでながくながく語りつがれている』
ご一読をお勧めする。
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