花ある風景(437)
並木 徹
『魂の発見』の講演を聞く
同期生、青木達雄君の誘いで「魂の人間学」の提唱者・高橋佳子さんの講演『魂の発見』を聞く(11月6日・横浜・パシフイッコ横浜国立大ホール)。青木君の手紙によれば、高橋佳子さんは陸士の先輩期の娘さんで昭和46年頃からの知り合いである。その出会いから「人間の本質は永遠の生命を生きる魂の存在であり、みな人生の目的と使命を持って生まれてきている」と言うことを信じるようになったとあった。
私は心理学者カール・グスタフ・ユングがいう「人間は死後自己完結の旅に出る」を信じており、文章にしろ芸術作品にしろすべてその人の心の表現であると思っている。さらに常に前向きに120歳まで生きる心構えなので何らかの知的刺激を受ければと思って参加した。大ホールは満員であった。私と同じく”迷える羊”は多いようである。
講演会では小樽市駅前の再開発に苦労されて浅村公二さんと難病で苦しみ最後に延命治療を拒んだ少女を診察した前田小児科医と高橋佳子さんがそれぞれ対話をしながら『魂』から素晴らしいエネルギーが放出された話をされた。
浅村さんの場合心に残った言葉は「自分が良かれと思ったことが必ずしも相手に良いとは限らない」である。一人ひとりの話を直接聞かなければその人たちの気持ちは分からない。浅村さんが幼稚園児の時、先生の机の上に飾られたあったチュウリップの花がきれいであったので幼稚園のチュウリップの花をすべて切り取り、みんなを喜ばそうと思って園児の机に飾り大目玉を食らった経験がある。他人のことを思いやり全体の調和を考える大切さを我々に教える。
前田さんの場合、「人間が長く生きのが幸せで若くて死ぬのは不幸であるというのは人間のおごりである」と言う高橋さんの言葉である。腎臓の透析の手術を拒否した少女は「問題は命の長さではなく、いかに生きるかではないか」という。子供の時から医者になれと言われ自分でもその気になって医大に進学。小児科医になった前田さんは患者と心を通わせ、患者の立場に立って治療をほどこす。試練はわれわれにメッセージを与える。その試練を克服することによって魂が働き、願いがかなえられる。
高橋さんは3・11の東日本大震災での三陸大槌町の消防団員の話に触れる。団長は津波を知らせる半鐘を鳴らし、帰らぬ人となった。人間はただ生命体だけで生きるものでなく、それを越えるものを内に抱いている存在である。彼らが放ったのは魂の光だという。人間は時には公のために命を捨てることがあるのだ。
高橋佳子さんは魂の発見を「教育」「医療」「経営」に求める。まことに妥当である。戦前教育の現場は聖職と言われた。今は荒廃している。医療は仁術と言われた。今は算術と言われる。急患のたらいまわしは日常茶飯事である。経営は利益至上主義である。不景気になれば社員を切って捨て、社会的貢献もせず、ひどいところは損失を20年も隠す始末である。
私は静かに思う。「敷島の大和心人問わば朝日ににおう山桜」そして日本には武士道があるではないかと言いたい。
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