2011年(平成23年)11月10日号

No.520

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追悼録(435)

靖国神社の祭神・航空士官学校の同期生たち

 

 航空士官学校へ進んだ同期生(陸士59期)について書く。

 靖国神社に祭られている13名の同期生がいる。いずれも航空士官学校に在学中、満州で飛行機の操縦訓練中に殉職したり、敗戦時に満州からの帰国途中、ソ連機に銃撃され戦死したりさらにソ連へ抑留され病死したりした者である。

 昭和18年4月埼玉県朝霞の陸軍予科士官学校に入校した私たちは(2869名)、翌年の19年2月22日に航空兵科決定があり、1600名が航空に決まった。このころ軍の主力は歩兵(529名・兵科決定は昭和19年9月13日)ではなく航空であった。3月に予科を卒業、埼玉県所沢の航空士官学校へ入校した。8月には軍曹に進む。地上兵科が軍曹になったのは隊付き教育が終わった昭和20年3月である。外出時、良く航空の同期生が上官だというので敬礼をさせられた。米軍機の空襲のため日本では操縦の訓練が難しくなり、満州で操縦訓練することになった。操縦の1108名(このほか通信290名・整備202名)が立山武雄大佐(陸士31期)に率いられて昭和20年4月20日富山県伏木港から牡鹿山丸と江の島丸に分乗して出港、北朝鮮の清津港と羅津港にそれぞれ入港、満州の各地の飛行場へ向かった。積んでいった機材は99高練130機、1式双練40機、ユングマン(4式基本練習機)500機などであった。4月27日までにそれぞれの飛行場に着く。(編成は21中隊・戦闘・鎮東、鎮西。22中隊・襲撃・杏樹。23中隊・重爆・温春・東京城。24中隊・司偵・戦闘・平安鎮。25中隊・戦闘・海浪・海林)

 21中隊にいた佐藤成雄君(弁護士・現在なお自家用機を操縦する)は当時の飛行場の様子を次のように書く。『四周は見渡す限りの大平原で杜も林もなく高粱畑が広がり、北々西の地平線にかすかに見える青い線が興安嶺であった』

 操縦訓練は5月18日ごろからユングマンで始まる。8月9日のソ連軍の満州侵攻までに総飛行時間は40時間。科目は基本空中操作(水平直線、上昇降下、上昇旋回,降下旋回)、場周離着陸、単独飛行は速い者で6時間半、平均で9時間半であった。全員が単独飛行を終えた6月下旬に約20%の者が淘汰(操縦不適性と判断され偵察・通信への転科)され、7月7日に海浪に新設された大28中隊へ移った。その後、半数が一般班、半数が速成班に分けられた。両班とも同時にユングマンによる特殊飛行訓練に入った。急旋回、上昇反転、緩横転、失速,錐揉みなどの科目を一応終え速成班は99高練に移行して場周離着陸に入り、一般班はユングマンによる編隊飛行、幌をかぶって三角航法コースを廻る計器飛行をする。2,3日のうちには高練の単独飛行に出ようかと言う8月9日、ソ連軍が侵入してきた。

 99式高連の飛行訓練を急いだのは特攻のためであった。沖縄戦に知覧から9機の高練が特攻に飛び立っている。8月17日に帰国命令が出た。中隊長生本五八少佐(陸士46期)の指揮は見事であった。列車や食料の確保のために統制班長や区隊長が高練で先行して必要な措置をしたので、列車は釜山まで無駄な停車をすることなく、また食に窮することもなかった。杏樹ではいち早く中隊長が飛行機で南下してしまい、残された同期生たちが難儀したと聞いた。指揮官の優劣は緊急な時にはっきりする。8月27日釜山で貨物船を捕まえ出航し28日島根県境港に上陸し、無事に帰校することが出来た。満州派遣の59期生の士官候補生のうち13名が帰国できなかった。

吉田哲治 墜落・鎮東・昭和20年5月19日(陸軍少尉)
平 勝夫 プロペラに接触・杏樹・昭和20年6月6日
福島 宏 エンジン停止・温春・昭和20年6月15日
日野宣也 空中衝突・平安鎮・昭和20年6月24日
竹内 清 空中衝突・平安鎮。昭和20年6月24日
武山利起男 牡丹江で被爆戦死・杏樹・同年8月11日
仏性泰二 牡丹江で被爆戦死・杏樹・同年8月11日
豊田信哉 山に衝突戦死・東京城・同年8月12日
衣笠隆雄 山に衝突・戦死・東京城・同年8月12日
奥脇英雄 白城子で病死・平安鎮・同年10月
横田静史 シベリアで病死・杏樹・同年12月
瀬上正夫 奉天で戦病死・鎮西・昭和21年1月24日
芦沢正名 シベリアで病死・杏樹・昭和22年2月11日

 なおシベリア抑留者は杏樹で67名、東京城で11名合計78名を数える。シベリアで苦難の抑留生活を送り24年までに舞鶴に復員した。

 最後に平安鎮で殉職した日野宣也君が満州に赴いてから作った詩がある。

夢に見る父母、夢に見る友
その身は千里の海を越え
その声は重丈たる山にかくる
父母は宜きかな、友はよきかな


(柳 路夫)