安全地帯(340)
−信濃 太郎−
少年達の合唱『地雷のあしあと』
「フレーベル少年合唱団」の定期演奏会を聴く(11月2日・東京墨田区・すみだトリフォニールホール)。この演奏会で同声合唱組曲「地雷のあしあと」(おやま峰子作詞、中村守孝作曲)の合唱があった。私には悲しい中にも懸命に生きる少年たちの姿が浮かんだ。
こやま峰子さんが『地雷のあしあと』を出版したのは2003年1月10日であった。すでに8年も立つ。それが合唱組曲になるとは嬉しいことである。
合唱組曲は八っつにわかれている。1、「どうしてですか」2、「百万ボルトの痛み」3、「地雷を踏んだ日」
こやまさんは1999年8月、日本赤十字社の協力で、ボスニア・ヘルツェゴビナに赴いた。はじめて訪れたサラエボ、ツヅラ、バニャルカなどで多くの子どもたちや青年、町の人々に会った。1992年から始まった戦いの折の体験を聞く。撒かれた地雷でけがをした青年たちの話を忘れることができない。また地雷に対する子どもたちの正直な気持ちがあらわれている、たくさんの絵に出会った。どの絵からも、子どもたちの悲鳴が聞こえた。
「戦争が終わり,待ちに待った学校が始まった日、
友達に会えることがうれしくて
胸をはずませ 学校につづく道を
足どりもかろやかに いそいだ
おおぜいの友だちが 校門を入ろうとしたとき
地雷が爆発した
ぼくのすこし先にいた 5,6人の友達が
だれがだれだがわからいほどに
重なりあってたおれていた
ぼくは土煙をかぶり 地面にすわりこんでしまい、立ちあがることもできない・・・」(オリベラ・ツィキッチさん13才の画から)
4、「真夜中のコンサート」5、「ぶきみな怪物」6、「安全地帯」7、「春風になれたら」8、「祈り」
ピアニスト志望の青年は地雷で遊んでいる子供達の姿を見て子供たちの手にある地雷を取り上げた瞬間、爆発してピアノが引けなくなった・・・・
ボスニア・ヘルツェゴビナは面積が日本の八分の一ぐらい、人口は430万人の小さい国である。
1992年から95年にかけて起きた内戦で全土の地雷が埋められ、多くの犠牲者が出た。まことに愚かしい。合唱団の子供たちの声のすがすがしさが心に響いた。