終戦直後の食糧難の時代、愛知県岡崎の母の実家で過ごした。気分がめいる時、思い出したのが昭和20年8月の末、長野県佐久から復員の際、いただいた陸軍士官学校生徒隊長,八野井宏大佐(陸士35期)の訓示の断片であった。「士官候補生の矜持」「やせ我慢すべし」「役に立たない不平不満を言うな」。お経の文句のようにつぶやいたものである。最近その原文のコピーを同期生の野地二見君から頂いた。
訓辞の日付は昭和20年8月27日となっていた。私たち59期生は長期演習の名目で長野県佐久の望月を中心に各村の国民学校などを仮りの兵舎として昭和20年6月から訓練に励んでいた。8月15日の終戦を迎え、8月31日この地から復員した。同期生の話ではこのころ村井頼正中隊長(陸士49期)から切腹の仕方についての話を聞いている。
八野井生徒隊長の訓示は各中隊に配布され、それを各区隊で複写して配ったものであった。訓示の内容は次のようなものであった。当時八野井大佐は44歳、陸大を出ておられ36軍高級参謀から昭和19年12月30日に陸士生徒隊長になられた方である。軍の学校が敗戦で解体する際、どのような言葉で19歳前後の若者に対して別離の言葉を述べられたのか注目してもよいであろう。
八野井大佐の訓示。
1.諸子は苦難に満ちたる皇国将来のための礎にして真に国の宝なり。諸子の精神は永く皇国に伝承せられずべからず。諸子宜しく目下の苦痛を克服し上御一人の在ます限り喜び生恥をさらすことを甘んじ真に皇国の将来の為懸命の祈願と無言の奮闘とに生くべし。
是目下の諸子の唯一の忠節にしてこれ以外に絶対に途なし。諸子今後の心境に於て右と背致することなきを合掌切願す。諸子之を諒とせよ
2.相武台精神は此の際の一糸乱れざる行動となりて発揮せられざるべからず。彼の海軍部に見る如き無統制なる惨状は実に皇軍の恥曝なり。大石内蔵助の赤穂城明渡しに見る如き粛然たる態度と節度こそ将来の為の無言の盟約なり。宜しく統帥系統に基く指導に服し相互相戒め常に粛々として整然たる行動を為すべし
3.諸子将来のためには取敢へず直後に於いて困窮せざる程度を考慮して軍隊輸送を以て各郷里に帰還せしむべし。
休暇帰省の心組を以て緊張を弛めず他部隊に見る如き無統制に陥らず士官候補生の矜持を堅持して着郷すべし。
爾後の諸子の生活援護他学校職業補導並精神的結合及相互切磋に就いては公式に同期生組織を以て善処せらるる予定なり。宜しく同期生の親睦をさらに確保し将来長年月に亘る相互誘掖の基礎を固め団結と節度とを保持すべし。また皇軍将校の補充員として召出さるることも予想されるるを以て自重自愛軽挙なる行動を以て自ら御奉公の途を塞ぐことなきを要す。
4.復員実施の諸業務は上官の指示に基き全力を挙げ速やかに完成し整斉なる行動に支障なからしむべし。
終に臨み諸子将来の多幸を祈り又切に自重と自愛とを望む。
戦後66年今改めてこの訓示を読むと、八野井生徒隊長の愛情と我々に寄せる期待がひしひしと伝わってくる。「国の宝」「喜びて生き恥をさらすことに甘んじ」「士官候補生の矜持」この気持ちを持って我々は戦後を生きてきた。「やせ我慢すべし」「役に立たない不平不満を言うな」と言う言葉はこの訓示の中にはない。別の時に聞いた訓示かもしれない。今から6年前、私たち予科時代の同期生で相談して23中隊1区隊史を作った。戦後我々はどのような思いで生きてきたのかつづったものである。本の題を「平成留魂録」と名づけた。今は亡き八野井生徒隊長へ出した我々の答えでもあった。
(柳 路夫)
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