2011年(平成23年)10月1日号

No.516

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山と私

(79) 国分 リン

― 「ジャンダルム3163m」への長い道 ―  

 「登れた、登った。」大きく深呼吸をした。夢であったジャンダルムの頂き、感動で言葉にならない瞬間、早朝4時からの岩との格闘から12時間、午後4時になっていた。
どこも、岩ばっかり。
どこも、怖いところばっかり。
どこも、どっか手でしがみついてないと危ないところばっかり。
どこも、急な登りか、急な下りか、不安定なトラバースばっかり。
どこも、下は目もくらむ、切れ落ちた谷ばっかり。
どこも、ピークが多く、眼前のジャンダルムは闘いを挑む。「山雪波の記録帳より」

 3年前 NHKで田部井淳子さんが北アルプス縦走でこのジャンダルムを登る放送を、薬師岳から立山縦走を終え、大町の待合所で観ていた。「私は無理ですね。岩峰歩きが苦手だから。」その時もガイドをお願いしていたスポニチ登山学校の片平先生が「私が安全第一でアンザイレンして登れますよ。」今年が登れる最後のチャンスと思い、散々悩んだ末に「お願いします。多分いろいろご面倒をお掛けすると思いますが。」地図は波線上にあり、北アルプスの中でも屈指の難ルート、初心者のみの入山は控えることと赤字で示され、ネットで検索しても岩場の連続と10時間コースと書かれていた。

 8月13日 晴 このお盆の時期、山小屋は混雑を覚悟して西穂山荘を予約し、新穂高ロープウエーを乗り継ぎ、展望台はパスをして登山口を歩き出す。家族連れが多く、87歳の女性の家族も元気に下山し、すれ違いに挨拶し、元気を頂いた。テント場は混雑していたが、西穂山荘は幸いにも1畳1人で休むことができた。

 8月14日 晴 長丁場を思い、興奮状態で熟睡できず、3時半に起きだし準備を整え、4時星空と月明かりにヘッドランプを点け登り出す。スポニチ登山学校のエキスパートコースの時、11月第3週に「西穂独標周辺」の雪山山行があり、私も2年連続、ピッケル・アイゼンで雪の「独標」まで登り、白い雷鳥にも会え、雪の笠ヶ岳もよく見えた。雪のときと違い岩がゴロゴロして歩き難い。独標から始めて踏み入れる道、岩稜帯でいきなりの垂直の下りからまたピラミッドピークまで登り、朝早く調子が悪く、とにかく西穂高岳までがんばろうと1歩1歩言い聞かせて登り、西穂高岳2908m8時到着。槍ヶ岳の姿もよく見え記念撮影をし、確認してきたはずのカメラの電池切れにガッカリした。気を取り直し、前を見渡すとジャンダルムが見えた。「この先大丈夫ですか。」「ペースは遅いですが、なんとか登れるでしょう。」360度の大展望に吸い込まれるように一歩足を踏み出した。3点支持の岩稜下りをし、直ぐに「赤岩岳から間ノ岳への垂直な登りは危険なのでロープを下ろしますから。」先生がするすると登り、ロープを下ろし、ロープをハーネスに付け、鎖で間ノ岳2907mを登った。また間ノ岳を慎重に下り、目前に通称逆層のスラブ状になった一枚板のような三角錐が現れ、「ここも滑ったら危険なのでロープで。」また簡単に先生は登り、私の為にロープを下ろし、鎖を使いロープを先生が引き、アドバイスを聞きながら登った。天狗の頭2909mへ、ここからまた凄い下りが続く。「危険なのでまたロープを。」「足場が見つからない。どこですか。」叫びながら無我夢中で下り、岩場のトラバースも下を見たら、高所恐怖症だったら足がすくむほどの眺めだ。「必ず3点支持で慎重に。」天狗のコル2835mへ着き、始めて逆からの登山客に会い、ここで幕を張るとのこと。私のスローペースに西穂からの登山客は全てもうジャンダルムの頂に見えていた。「とにかく1歩ずつ登りましょう。」励まされ、白い丸印を探しながらジャンへの岩場標高差300mを登る。西穂側から左30mほどトラバースして岩場を喘ぎ喘ぎ直登した。着いた。ジャンダルムに着いた。「とにかく証拠写真を撮ろう。」携帯でジャンの標識を入れ撮る。


        
 その頃ガスが沸き周囲の景色はゼロ、「穂高山荘まで行きましょう。」ジャンからの下りも慎重に、次、ロバの耳のほぼ垂直に近い80mのクライムダウンも先生がロープを確保してくれ、安心して降りた。後は馬の背である。先生はまた簡単に登って、「ここも危険なので、ハーネスにロープを。」名前のように両側がすっぱり切れ落ちたナイフエッジが途中3m程あり、私はロープが無ければ安心して登れなかったと思う。馬の背を登り終えた時18時、日が沈む時に穂高岳3190mが見え19時到着。急に真っ暗になり、ヘッドランプが無ければ危険状態、なんと私の大きなミスでまた先生に迷惑をかけた。電池切れと予備電池を持参しなかったからで、基本的な準備不足であった。先生の明るいヘッデンで何とか穂高山荘の明かりが見える場所に着いた。これ以上私の足元が見えないことを危険と思い、先生が「穂高山荘でヘッデンを借りてきます。絶対動かないで待っていて下さい。」動かないと寒いし防寒着を着、携帯に付けていた小さい灯りを思い出し点けて待っていた。先生は30分で戻ってきてくれた。いかに私が迷惑を掛け、時間を掛けてしまったのか反省した。クサリ場が何ヶ所かあり、「慎重に、もう直ぐですよ。」最後の鉄梯子を降り、そこからも気を許せない下りを終え21時穂高岳山荘到着。もう山荘は就寝時間であった。ヘッデンを貸してくれ熱いお茶を2杯入れてくれた山荘の女性に深く感謝した。顔を洗い予備の部屋へ潜り込み夜具へ横になった。その夜は最高の興奮状態か岩場からの転落の夢や怖い夢にうなされてたびたび目が覚め、山荘にいることに安心した。延べ17時間の長い長い行動時間であった。

 無我夢中で先生の後を歩き、岩場を怖いとも思わず、お天気に恵まれ凄い景色の連続を満喫、夢のジャンダルムを登れたのは片平先生のお陰と今もしみじみと思う。山仲間達に「連れて行くほうも、付いて歩いた方も凄い。」「片平先生に足向けて寝られないよ。」でもこの山行で、私は人生観が変わり、いつも初心に返ろうと思った。