2011年(平成23年)8月10日号

No.512

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追悼録(426)

原爆の語り部・沼田鈴子さんを悼む


 原爆の語り部・沼田鈴子さんがどうも気になる。「銀座展望台」(7月13日)でその死を悼んだ。テレビでしか彼女のことは知らない。それでも書かずにはおれなかった。

 展望台を再録する。「66回目の広島原爆忌を前に被爆体験の語り部・沼田鈴子さん(87)死去する(12日)。爆心地から1.3キロ地点で被爆、建物の下敷きになり左脚を切断する。21歳のときであった。被爆したアオギリが青い芽を出しているのを見て希望を取り戻した。平和公園に移植されたアオギリのもとで修学旅行生らに被爆の体験を語り続けた。

 作家の竹西博子さんは『広島が言わせる言葉がある』と表現した。沼田さんの話には聞く人の涙を誘ったに違いない。竹西さんは原民喜の『夏の花』が『広島が言わせる言葉の原点』としての重みを持つといった。
『ギラギラノ破片ヤ 灰白色の燃エガラガ ヒロビロトシタパノラマノヨウニ・・・』

 私の頭の中には劇作家・井上ひさしさんの痛烈な言葉が残されている。「あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることはできない。20世紀後半の世界中の人間を代表して地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識ではなく世界54億の人間の一人としてあの地獄を知っていながら『知らないふり』することは、何にまして罪深いことだと考えるから書くのだ」。原爆を扱った井上さんのお芝居には『父と暮らせば』『紙屋町さくらホテル』などがある。さらに今年の6月26日茨城県常総市水海道高野町にオープンした「いのちを語り継ぐ美術館」(館長田中清士さん)があったからだと想う。ここには『原爆ドームを描く合作画』が21点も展示されている。1998年から毎年8月6日、不特定多数のしかも国籍も年齢も男女も問わずに誰もが描いた鎮魂の画である。3千人以上の人々の思いがこもる。美術館の運営の実質的責任者は画家・山崎理恵子さんで、5歳の時広島の原爆の写真を見て戦争のない世の中を作りたいと思ったという。広島にも3年住み、合作画の企画を思いついたものであった。それをさらに発展、「いのちを語り継ぐ美術館」となった。

 語り部・沼田鈴子さんは死ぬ前に8月6日に開かれる行事にメッセージを残していた。毎日新聞(8月1日)によると、「『原発がいつか爆発するのでは・・・』と私はずっと心配していました。においも形もないが、残留放射能がどんなに恐ろしいものかしっかり知ってほしいと思います・・・私たちは2度と被爆者になりたくない」とあった。また核兵器廃絶は口先だけの軽い運動ではありません。命に関わること、いついかなる時に起きるか分からないことを自覚してくださいと訴えている。語り部は最後まで語ることを忘れなかった。
 ご冥福をお祈りする。


(柳 路夫)