2011年(平成23年)8月10日号

No.512

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花ある風景(427)

 

並木 徹

 

 日本の橋物語『炎天や広重、探幽と涼をとる』

 
 何故か『橋』に興味がある。イメージとして娑婆から冥土へわたる“聖なる橋”がある。神社には川がなくても形式的な太鼓橋がある。俗な場所から聖域に渡るのを意味する。神代の昔から橋が存在する。『古事記』によれば、伊邪那岐・伊邪那美は、天浮橋(あめのうきはし)に立って、天沼矛で、渾沌とした大地をかき混ぜたところ、矛から滴り落ちたものが、積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となったとある。天浮橋は地上へつながる橋である。
 開催中の特別展「日本美術に見る・『橋ものがたり』―天橋立から日本橋まで―」(開催は9月4日まで)には「神仏の橋、名所、文学の橋」を一つのコーナーで紹介する。雪舟の「天橋立図」(製作年代16世紀から17世紀・国宝)雪舟の絵は見るだけでも楽しい。細やかな筆使いに神秘な国の穏やかなただずまいが感じられる。次に狩野探幽の『東照宮縁起絵巻』1巻他4巻が展示される。ここに有名な『神橋』がある。
 ベストセラー作家・佐伯泰英は『夏目英二郎始末旅・奨金狩り」(光文社)で次のように描く。「中禅寺湖から高さ百間を一気に流れ落ちる華厳の滝は、その膨大な水を大谷川と変じさせて岩場を伝い、東照権現宮に回り込んで、門前町の鉢石宿の北側を流れて行く」「神域への御成門である神橋の朱塗りの橋を常夜灯の明かりが浮かび上がらせ、冷気の籠った靄が水面から立ち上っていた」。この橋の上で英二郎は内舎人・草摺権之兵衛と戦い、相手を倒す。そのようなことを思い浮かべながら鑑賞する。東京の橋は「江戸景観図」を含めて21点が飾られる。日本橋は著名な広重の江戸名所「日本はし」、奥山儀八郎の絵など12作品があった。
 そういえば今年4月2日、船宿の船で都内90ヶ所の橋の下をくぐる貴重な体験をした。その際、日本橋について次のように記した。「日本橋をつくづく眺めたのは今回が始めて。明治44年の完成。真ん中に橋脚のある2連アーチ橋である。橋の装飾は多彩、袖柱に擬宝珠を象り、親柱に唐獅子、中央に麒麟、橋灯は様式のランプだ。この界隈の人たちは年に1度、橋を洗い清めている。この中央通りには万世橋がある」。
 日本橋は今年でちょうど100年を迎える。4月の橋めぐりの際、友は「日本橋の桁下過ぎる花三分」(紫微)と詠む。さまざまな橋をくぐりぬけながら石田波郷は「炎天の筏かなし隅田川」と歌った。
 私は「炎天や昔偲ばる日本橋」、「炎天や広重、探幽と涼をとる」(悠々)と納める。