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佐野真一の『津波と原発』を読む
牧念人 悠々
佐野真一著『津波と原発』(講談社・2011年6月18日第一刷)を読む。読んでいて気になったのは著者が特定の人々を批判し,褒めあげる点である。その人たちの評価は私とは全く正反対であった。それでも読みごたえする。私なりの感想を書く。
入院中九死に一生を得た日本共産党元文化部長・山下文男さんのインタービューは興味がある。。山下さんは津波の研究家でもある。『津波てんでんこ』の著書がある。山下さんは県立高田病院に入院中津波に合い屋上に逃げ自衛隊のヘリで花巻の県立藤和病院へ移送された。高田病院では51人の入院患者のうち15人が死んだ。「36人乗りの大型ノヘリであった。中にはちゃんと医務室みたいものがあった。僕はこれまでずっと自衛隊は憲法違反だと言い続けてきたが今度ほど自衛隊をありがたいと思ったことはない。国として国土防衛隊のような組織が必要だということがしみじみわかった」。孫のような隊員が山下さんの冷え切った体を毛布で包み体までさすってくれ、山下さんは涙を流したという。山下さんが自衛隊を「国土防衛隊」まで認識を新たにしたのは良いことであるが、今回の大震災で自衛隊が『最後の砦』であった事実を認識してほしい。自衛隊は通信、燃料、移動手段に至るまで自己完結の唯一の組織であった。東北地方各地の駐屯地や基地が、ほかの行政機関に対する支援拠点の役割を果たした。備蓄したガソリン・燃料をパトカー、消防車、自治体に分けた。その量はドラム缶6000本に達するなど大活躍をした。ここで忘れていけないのは自衛隊が『常に最悪の事態に備える』心構えをしてきた点である。単なる「国土防衛隊」ではこのようにはゆかない。軍隊と単なる組織の違いがある。
花巻の病院を退院した山下さんに病院の売店からオムツ、尿取りパッドお尻ふきなど1万5859円の請求書がきた。介護に必要なこうした品々の大金まで請求するのは災害救援医療の基本精神から言って問題であろうと筆者は指摘する。山下さんは「要するに菅直人初めみんなが混乱して、今回の大災害に誰も正しく対応できていないんだ」という。
浪江農場長の吉沢正巳さん(57)は重大証言をする。浪江農場の敷地内で通信機材を使って作業していた福島県警の通信隊員が「国はデーターを隠している、ここにいない方が良いですよ」と言って撤収していたという。福島第一原発の1号機で水素爆発が起きたのは3月12日午後3時半過ぎである。重大な原発事故であるというのを警察はこの段階でつかんでいたのである。
東電本社に抗議に行った吉沢さんが総務担当者に言った言葉は痛烈である。「3月11日から17日までの1週間、お前らは本当に何をやったんだ。本気で原子炉制御する気があんのか。おれだったら、死んでもよいから特攻隊になってホースを持って原子炉に水を懸けるぞ。お前らのやっていることは、後手後手で本当にどうしようもねぇ。お前ら本当に死ぬ気でやる気があるのか・・・」
日本はあまりにも平和でありすぎた。他人のために、公のために命を投げ出す人間はいなくなってしまった。その精神が残っているのは自衛隊だけであるのはまことに情けない。
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