2011年(平成23年)7月20日号

No.510

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追悼録(424)

鳥海昭子さんの歌


 知人の画家から暑中見舞いに鳥海昭子さんの歌を記した団扇が送られてきた。

 「しずかなる山ろくが今日の私で風の一部始終を聞きました」

 鳥海昭子さんが亡くなってから6年近くになる(平成17年10月9日死去・享年76歳)。私も鳥海さんの歌を折に触れて引用する。同行の士がいるのかと思うと嬉しくなる。山ろくは彼女の故郷の鳥海山である。北の空にでんと聳え立つ鳥海山の春夏秋冬の豊さと厳しさのもとで人情と強情を育てられたという。彼女の「謹んで申し上げます矢萩草は弓矢の形に切れます」の歌が好きである。反骨精神が旺盛である。父親は昭子のことを「フンガイコジ」といった。26年間東京都の児童養護施設の職員として勤めた。大学を出ながらスタートは施設の掃除婦であった。切れたカバンのひもを直したらその女の子は彼女を「おばさん、かみさま?」といった。「人間はおもしろい。こどもは、なお、なおおもしろいし、すばらしい。汲んでも汲んでも尽きないおもしろさのトリコになってしまった」と彼女は言う。子供の背丈から見る世の中に,ともに泣き,ともに笑い、ともに怒った彼女の人生であった。5人の子供のいる男性と結婚し子供を一人産み育てた。その人生は波乱万丈であった。

 「書くことは考えること生きること明日の日の出は六時八分」

 生涯ジャーナリストを目指す私にはこの気持ちが良くわかる。絶えずネタ探しをする。文章の書き出しをどうするかなどと寝床の中でも考える。いつの間にはそれが生きがいとなっている。

 鳥海さんは平成17年4月カラNHK「ラジオ深夜便」で誕生日の花の解説をし、彼女が作った花にまつわる歌の朗読をした。ラジオが始まると、リスナーから「一日の始まりがとても豊かになりました」等と便りが寄せられた。それが一冊の本となり出版された(平成17年12月17日発行)。私の誕生日8月31日の花は「ホウセンカ」。花言葉は「快活」である。歌は「さわやかに種をはじけりホウセンカ ホウセンカ赤し晩夏夕暮れ」

 彼女が死ぬ6ヶ月前の仕事であった。本の最後の校正刷りが終わったのは死ぬ一週間前であった。最後の締めくくりは鳥海さんの誕生日の歌にする。誕生日は4月6日。誕生の花は「イカリソウ」、花言葉は「あなたを離さない」

 『大石田に茂吉の歌碑を訪ねし日 イカリソウ雨に首たれていき』


(柳 路夫)