2011年(平成23年)7月10日号

No.509

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安全地帯(326)

頓珍漢


 大震災(2)
「国民一流」「政治三流」

 


3、 大衆反応

 ボランティア、義援金募集、救援物資、避難所提供等大きな盛り上がりを見せている。被災者達も立ち上がり始めている。義援金は数千億円に達しているがはいぶんはまだ30l以下である。被災者は色住衣の不足が満たされ始めれば、次の要求は現金である。義援金の配分に数十日も掛かっていては拠金社は涙が出る。些少であるが日赤、市役所、動機盛会の呼びかけに応じたけれどどれだけ集まったのか何処へ配分されたのか皆目不明である。わずかに区隊会の義援金は10日程で集まり、直ちに特定の被災者に贈呈された。

 盛り上がりには神戸大震災の教訓が生かされているようだ。その第一は被災直後の隣人相互の助け合いのようである。被災者ではないが我が家でもこれを実感した。隣家の数人から「大丈夫か」と声を掛けられ、米等の差し入れを受けた。一方、ろくでもない連中もいる。被災地泥棒、ガソリン泥棒、募金詐欺、買いだめ、風評流布等々が善意の国民の行動に泥を駆けた。


4、外国の評価

 上海の新聞は「国民は一流」「官僚は二流」「政治は三流」と評したようである。国民一流と政治家三流はまさに的確な評価と思うが、政治家は四流、五流といってもようのではなかろうか。要は政治家に人がいない。政治に必至な大局観、背近刊、行動力を持つ人物がいない。政治屋ばかりである。
この国難に際して老人の追憶は終戦時の復興にたどり着く。物的には首都を中心に大都市は空襲で焼け野原となり、広島、長崎は原爆で壊滅し、放射能にさらされていた。国外にあった戦場は沖縄から国土に及び、国民の衣食住は例外なく逼迫の極に達していた。全員が被害者だから、義援金も避難所もなく。もちろんボランテアなどの余裕は何処を探しても一人もいなかった。戦後の猛烈なインフレにより戦前戦中に蓄えた貯蓄は雲散霧消し、金より物が物言った。

 精神的には2千年に及ぶ天皇制が崩れ、主権者になった国民には民主主義の知識も道徳も奉仕の精神もなく、動物的な私欲に振り回されていた。終戦までの「一億一心」は跡形もなく消え、食を巡っては農村と都市の対立まで危惧された。又。力を得た労働団体は暴力まがいの行動を取るのが見られた。

 しかし、国民相互の内紛、内線は見られず、占領軍に対する反抗、反乱もなかった。外的に「冷たい戦争」の発生、「朝鮮戦争」の勃発があったにせよ、日本は潜在的名国力を顕在化して自力で一級国家に上り詰めた。

 これは国民、官僚、政治家がいずれも一流であったからであろうか。今、日本は再度の国難に際し、三流の政治家が国家の方向も定めずに迷走している。こんな政治家を選んだのだから国民も三流と言われても仕方ないであろう。しかし、政治感覚を覗けば国民の資質は一流と言えるが、民主国家の国民として派政治感覚も一流でなければならない。
日本は政治的にはまだ戦後である自主独立の国民精神も政治機構も教育も混沌とした戦後の継続である。このたびの大震災は戦争直後の人災とは異なるが復興、復旧には物心ともどもの救国活動が必須である。