花ある風景(424)
並木 徹
山野井孝有さんの「いのち五分五分」
山野井孝有著「いのち五分五分」―息子・山野井泰史と向き合って―(山と渓谷社刊・2011年7月5日発行)を読む。本誌でもこれまで山野井孝有さん、山野井泰史・妙子夫妻のことを取り上げてきた。とりわけ息子夫妻については遭難時での絆の固さには震えるほどの感動を覚えた。登山家の息子を持つ孝有さんはこの30年間、息子が登山に向かう時、奥さんともども常に悪夢に悩まれてきたと綴る。これから先どちらが先に葬式をするか五分五分だという。サラリーマンの息子を持つ私はこんな心配をしたことはない。息子は息子と割り切っている。さらに120歳までに生きるつもりなので息子の方が先に葬式を出すであろうとさへ思っている。ただ数年前に孫が白血病で入院した際には毎週見舞いに行き激励した。女房はいささかノイローゼになった。幸い1年足らずで全快した。親と子の間柄は千差万別と言える。
息子泰史さんは小学校のころから将来の夢は「登山家」であった。中学校3年生の時、千葉県房総半島にある鋸山の岩壁から落ちてケガをした。心配した孝有さんが「山を止めろ」と忠告したところ「俺に山を止めろというならおれを殺せ」とまで言い、取っ組み合いになった。そんな親子である。高校3年生の時に八ヶ岳デロッククライミング中事故を起こしケガをする。こんなけがをしてもつぎの日曜日には岩にとりついた。高校3年間で97回141日間、山かに上っている。3学期の時、担任が進学もしなければ就職もしない泰史君を心配して母親を呼びだした。「親ならば子供のことを真剣に考えて下し」と言う担任に母親は答えた。「18歳であれば自分の将来は自分で決められます」と。母親は子供が中学校1年生の時から応援するのを決めていた。私の息子は1年浪人した。その際私は「大学はどこでもよい。1年間100冊の本を読め、本代は出してやる」といった。家庭を顧みず働き、やくざ稼業の父親の仕事ぶりを見て大学は工学部を選び、卒業してかたい仕事につき、家庭を大事にする良い父親になった。私を反面教師としたのである。
孝有さんの奥さんの霊感は鋭い。例えば平成19年春、泰史さんがグリーンランド未踏岩壁挑戦の際、奥さんは5月19日午前2時ごろいやな夢を見た。あとでわかったが、その時刻に泰史さんがグリーランドのクレパスに落ちて頭に7針を縫うけがをしたのである。昔から「夢枕に立つ」といわれる。夢がメッセージを伝える。私はこれを信じて疑わない。信じ会うお互いの霊波が通じるのである。理屈ではない。
泰史・妙子夫妻は共に無慾である。実にすがすがしい。泰史さんを無名のころから応援している登山用品輸入会社の国井冶社長は「泰史君は会社から提供する登山用具をけして二つとほしがらない」と言う。絶対に必要以上の物を求めない。妙子さんもまた「生活できて、山に行けるお金があればそれ以上は必要ない」という。人間は無慾になかなかなれない。連合艦隊の最後の司令長官であった小沢冶三郎海軍中将)昭和41年死去)に戦後
かっての部下が問うた。『孫子は部下統率に必要な資質に智仁勇信厳通していていますが、海軍生活40年の体験を通じてこのうち何が一番大切な徳目ですか』小澤中将は「それは無欲だよ」と答えたという。慾がすべて判断を迷わす。無欲であれは虚心坦懐に物事を見ることができる。万一の時に良い判断が出来る。二人がこれまで生死のはざまで危機を脱しえたのはこの無慾に他ならない。夫妻はこれまで数々の賞に輝いている。「朝日スポーツ賞」「植村直美冒険賞」「放送文化基金賞」(夫婦で挑んだ白夜の代岩壁)等多数に上る。それが多くに人々に感動と勇気と「生きる力」を与えた。登山家を息子に持つ父親の『いのち』への思いが結実したのが本書である。
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