雄健神社は、昭和16年10月 陸軍正規将校の養成の場であった陸軍予科士官学校が市ヶ谷からこの振武台に移転した時に 将校の守護神として建立されたものである。
当時16、7歳の若き将校生徒達は毎日この社頭に額づいて心を正し純忠至孝崇祖感恩の誠を捧げ国を護る崇高な使命のもとに殉じた幾多の先輩の遺志を継ぎ 立派な生徒になることを誓い 日夜修文練武に励んだものである。昭和20年8月第二次世界大戦の終戦とともに 伝統ある陸軍予科士官学校もその幕を閉じた。その際御神体等を振武台碑の地下に埋設し 占領軍による接収四散を防いだ 昭和40年に至り士官学校出身者と自衛隊の手でこれを発掘し御神体は靖国神社に奉安した。
昭和58年10月 本神社跡周辺地域が 朝霞駐屯地の管理になるにおよび 往時の将校生徒の純真にして崇高な精神をはぐくんだこの地を史蹟として永久に保存し その名をとどめるとともに国の防衛に任ずる隊員の教育と士気高揚のため これを 「雄健神社跡」 として建立した。
寄贈者 偕行社
協 力 長瀞町 町長 黒澤 孟文