2011年(平成23年)5月10日号

No.503

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追悼録(417)

横山隆一さんが描いた魚の絵皿


 我が家の2階の居間に横山隆一さんが描いた魚の絵皿(1991年作)が飾ってある。毎日新聞社毎友ゴルフ会で賞品としていただいたものである。漫画家の横山さんとは同じころ毎日で仕事をしていた(毎日新聞でマンガ「フクチャン」の連載は昭和31年から昭和46年の15年間5534回)。私は社会部にいた。学芸部と社会部ではそう交流はなく、話したこともなかった。ゴルフ会はいつも相模原ゴルフクラブで行われていた(昨年ゴルフ会は解散)。ある時のゴル会で、横山さんは「ツバを吐くものではない。一生で作られるツバの量は決まっている。ユバは健康に欠かせないものだ」と言ったのをよく覚えている。

 それ以来、私はツバを吐かず飲みこむようにしている。横山さんは2001年11月8日、92歳で死去された。私より16歳年長であった。それにしてはいつも若かく感じられた。健康の秘訣の一つはいつも仕事のことを考えておられたからだと思う。

 編集者・田中裕子さんとのインタビューに答えて次のようにいっている。「いちばん楽しいことは、仕事が上手にできた時だけですよ。それがなかなかできないから悩んでいますよ。これは一生ね」(田中裕子編「おはなししてよおじいちゃん、おはなししてよおばあちゃん」グランまま社刊・1999年3月発行)。私もそうである。10日毎に4本、1500字の原稿を書いている。これがうまくゆかない。毎度頭を悩ます。うまくいくと嬉しい。この本の中で横山さんの中学時代の成績は百二人中百番であった。映画が好きで映画ばかり見ていたという。私は意外にも成績は良く、本ばかり読んでいた。

 横山さんを毎日に引き抜いたのは学芸部長・出版局長を暦任した高原四郎さんであった。条件は弟の泰三さんも一緒に入社と言うことであった。高原さんとは酔友で銀座のバーでよく飲んだという。面白いのは野球好きでゴルフ嫌いの高原さんが横山さんのゴルフに熱中するのを好んでいなかったことである。『ゴルフに深入りして妻子を困らすことのないようになってほしくない』とエッセイに書いている。だが、ゴルフはプレーすると1万5千歩以上歩くことになる。健康にはよい。横山さんより1歳年下の高原さんは横山さんが亡くなる16年も前、昭和62年4月、76歳で亡くなっている。横山さんがツバを吐かなかったこともさることながらゴルフ好きであったのも健康には良かったのではなかったかと思う。私は健康のため月1回はゴルフをする。昨今、スコアーは110以上。あまりゴルフが面白くないがやっている。

 「ツバ吐かずゴルフに励む五月晴れ」(悠々)

(柳 路夫)