2011年(平成23年)5月10日号

No.503

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山と私

(74) 国分 リン

― 春の花を求めて「景信山から相模湖へ」 ―  

 毎日余震が続く。3月11日金曜日14時46分魔の時から一ヶ月近く、こんな時に、されどこんな時だから山へ行こうと、友のKさんからの誘いで小仏峠から景信山へと決めた。

 山名は北条氏照の武将だった横地将監景信が、甲斐の武田軍に備えて展望台を築いたことによるといわれている。真実かどうかは不明だが、山頂に立つと確かに山梨県上野原方面がよく見渡せ、戦国時代に物見の山としては位置も高さも十分といえる。

 小仏峠(548m)旧甲州街道の難所だった峠で命名の由来となっている小さなお地蔵様と庚申様が安置されている。北の景信山と南の高尾山からの尾根と鞍部で室町時代末期に八王子城主だった北条氏照が関所を設けた。その後江戸時代には関所は、山麓に移された。(高尾天狗の山歩記より)

 4月10日 高尾駅北口バス乗り場の小仏行は大勢の登山客で賑わっていた。大型バスが入ってきた。狭いのにどうターンするのか見ていたら、大きな銅の円盤の上にバスが乗り、ロープを引くとなんとその円盤が動き、バスが回転して進行方向へ向きを変えた。何度もバス停に来ていたのに初めて気がついた。次から次へと回転していた。狭い土地の有効利用に感心した。今日はこれを含めてラッキーな気分になった。バスは満員の客を乗せ、増発で3台も出た。皆小仏からと思ったらうんざりしたが、さすが高尾山ブームで日影のバス停で半分が降り高尾山に向う。私達は小仏バス終点で降りアスファルトの道を10分ほどで登山口に着き南東尾根の樹林帯をひたすら登る。足元にタチツボスミレを見つけて喜んだ。5パーティと抜いたり抜かれたりして登り、40分ほどで尾根道に出た。黄色い花をつけた樹木、アブラチャンだ。ダンコウバイかなと思ったが家で調べたらアブラチャンだ。木全体が黄色に見えるほどできれいだ。キブシもみつけた。尾根に出ると調子が出て早くなり、茶屋の屋根が見え、見晴らしがよくなり11時に景信山(727.1m)到着。この頂上には100人ほど座れるベンチが置かれているが、大勢の登山客で賑わっていた。私達は景信山の看板前のベンチに座り昼食とした。春霞でぼんやりながらスカイツリーや新宿の高層ビル群など180度の展望で、気持ちの良い風に吹かれての食事は旨く、登った甲斐がある。1時間ゆっくり休憩し、相模湖へ向かって下山開始。歩き出して足元を見るとピンクで葉がギザギザのエイザンスミレを見つけた。跪いてゆっくり観察した。しばらく歩くと見つけたと、声をあげた。「シュンラン」に遇え、嬉しくて地面に顔を付けよく観た。後から小学生を連れた親子に「お花がありますよ」と教えたが興味が無いらしくさっさと行ってしまった。山へ登る目的はいろいろと思い直した。この頃はトレールランで山道を走る人が多くなり、山を装備無しで走り遭難事故がおき問題になっている。奥高尾もこの頃はグループで走るのを見かける。最初は凄い人たちと感心していたが、ルール無しで私たちが道を譲る状態に首をかしげた。体力があるのだから道を譲る余裕があるはずなのに何故かと疑問が残った。

 奥高尾はひっそりと静かで歩く人は少なく、森林浴で深呼吸をしながら鼻歌を歌い充分にリフレッシュ。心が落ち込んでいたが、自然は気分を晴らしてくれ、本当に山登りに来て良かった。