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語り継ぐ美術館発足する
牧念人 悠々
『語り継ぐ美術館』が茨城県常総茨水海道高野町に出来た。目玉は事務局長の山崎理恵子さんが1998年から10年間、毎年8月6日原爆の日に広島原爆ドームの前で多国籍・老若男女・不特定多数の人々と合作した絵画10枚である。広島・長崎だけでなく原爆で命を失った若者たちの無念さ、命を忘れないためにも月に1回『語り部の会』などを開催、『文化発信地』の役割を果たす。
このほど開かれた(4月29日)オープニングセレモニーには当時小学3年生で今は駒沢大学の4年生になった木村翔太君も出席した。木村君が絵を描いたのは平成10年(1998年)の8月6日合作画の第1回目であった。彼の描いた絵は次の人が上書きしてなくなってしまった。悲しそうに見ていると山崎理恵子さんが「あなたの絵は土台になって生きている」と慰めたそうだ。みているとイギリス人が書いた絵もつぎ次に塗られてゆくので消えたしまった。そのイギリス人が山崎さんに何か言った。そこで翔太君がそのイギリス人に「あなたの絵は土台になって生きている」と言うと、にっこり笑い、今度はピースと書き添えた。翔太君は「あのころは平和と何のことかよくわからなかった。今大人になってあの経験が貴重なものであったと思っている。これからの人生に活かしたい」と挨拶した。合計10枚の合作画は見ていて飽きない。素晴らしい絵ばかりである。
この美術館のお手伝いをする私は劇作家・井上ひさしさんのお芝居『父と暮らせば』の話をした。井上さんの口癖は「記憶せよ。抗議せよ、生き延びよ」である。このお芝居の中で原爆の怖さについて次のように説明している。「広島の上空580メートルで原爆が爆発した1秒後の温度は摂氏1万2千度、太陽の温度が6千度だから頭の上に太陽が二つあったことになる。被害もそれだけ大きかった」。記憶せよとは語り継ぐことである。
21代無雙直伝英信流居合術高明塾・塾長関口高明さんの居合術が披露された。山崎さんとは古い付き合いで、今は世界中を回り武道を通じて友好親善に尽しているという。明日からまたハンガリーに行くということであった。この日も出席された菱延流凪刀術・清水延子さんと今年の3月はじめに靖国神社の能楽堂で武道を奉納した由。
童話作家こやま峰子さんは友人の田中裕子さん(グランまま社代表)と姿を見せた。近く『地雷のあしあと』と題してここで『語り部の会』を開く。こやまさんは日本アイスランド協会の会員で、協会の会合ではしばしば顔を合わせる。田中さんは子供向けの本で隠れたベストセラーを出版していると聞いた。登山家でもある。
このほか多士済々の人々がこの美術館を応援している。語り継ぐ』のはそう簡単な業ではない。地味にコツコツと仕事をするほかあるまい。
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