2011年(平成23年)5月1日号

No.502

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花ある風景(417)

 

並木 徹

 

権現山の碑前祭開く

 

 
 恒例の佐久市の権現山の碑前祭は、初めて1泊2日の日程で開いた。(4月26日、27日)。北海道、石川、東海地区から合計21名の同期生が参加した。日の丸の旗と59期生の旗を掲揚する。風強く旗が気持ちよく、翩翻とはためく。今年は有志だけの会合であったので碑前は萱があちらこちらに茂っていた。来年からはあらかじめ鎌を持って切りとることにした。

 「信濃路に同期のちぎり山桜」(紫微)
 「信濃路や今を盛りに花辛夷」(同)

 この地に南御牧村の村長であった依田英房翁が陸士59期生の遙拝跡を建設されたのが昭和41年であった。南御牧村の国民学校に寝起きしたのは本科15中隊と16中隊の歩兵4区隊であった。これら歩兵の士官候補生たちが朝な夕なに皇居・故郷の両親へ遥拝した。「花辛夷信濃路に偲ぶ戦時中」(紫微)。その姿を心に留められた依田さんが59期生の殉皇の姿を世に伝えることによって日本再建の糧として青少年への訓えにしようとされた。しかも世の中が落ち着いた戦後21年後にその碑を建設された。私たちは依田翁のその志に感謝を捧げるために毎年ここにきている。碑には次のようにつづられている。
 「八月十五日万世泰平ノ聖詔ヲ奉ジテ遂ニ皇軍悉クガ矛ヲ止ムルニ至ヤ当隊亦斯ノ山上ニ慟哭解体シテ遂ニ四散ニ及ビタリ爾来茲ニ二十年刻シテ其ノ芳ヲ後昆ニ流フ」。

 近衛兵として日露戦争にも従軍した依田さんはあとに続くものを信じてこの碑を建てられたのであろうと思う。「その芳を後世に伝える」と結んでいる。その依田さんの志を思う時、私たちは権現山のこの碑を忘れることはできない。その夜佐久市内の温泉ホテルに一泊、みんなで昔の話に花を咲かせた。謡あり、詩吟あり、なかなか芸達者なところを披露する。軍歌も出た。

 「花万朶青春の日の行進曲」(紫微)
 「花も実もある人たれや花仰ぐ」(同)

 翌日はホテルの近くにある佐久市立近代美術館で「日本画コレクション」を見る。開館と同時に訪れた我々11名のために女性の学芸員が案内してくれた。1偕ロビーに池田満寿夫の陶壁画・作品名「佐久賛歌」があった。モチーフは躍動する鯉であった。第一展示室には平山郁夫の「仏教伝来」。29歳の作品。一連のシルクロードの作品の元をなすものであるという。3階には上村松園、小野竹喬、狩野芳崖などの名画を拝見、堪能した。

 「信濃路の日本画展や辛夷咲く」(悠々)