2010年(平成23年)4月10日号

No.500

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茶説

東京の『橋めぐり・観桜』の会に参加する
 

牧念人 悠々

 スペシャルイベント『橋めぐり・観桜』は東京・港区浜松町の船宿『縄定』から出発する(4月2日午前11時すぎ)。つり船『鳴瀬丸』(15トンぐらい)に37名の老若男女が乗る。写真家の友人・霜田昭治君に誘われ荒木盛雄君とともに参加する。本日の解説者は日大の先生で橋の大家・伊藤孝さん。船から見た橋は90を数える。ノートの走り書きをもとに思い出すままに書き綴る。まず隅田川の下流にかかる勝鬨橋をくぐる。築地と月島を結ぶ晴海通りにある。この通りには春海橋、晴海大橋、東雲橋などがある。勝鬨橋は昭和15年に完成。日本初の二葉の跳開橋。橋の名前は昔ここに「勝鬨の渡し」があったことによる。この日は快晴。川面をなでる風はやや冷ややかであったが心地よかった。『春光川面に照りて橋眺む』(悠々)。荒木君は詠む。「潮入りの離宮かすむる春の鳥」、「悠揚と流るる運河春の波」(紫微)。

 晴海運河に差し掛かる。越中島の海洋大学校(もと商船大学)が見える。ここに明治丸がある。石田波郷は「白南風やうつうつとして明治丸」と歌った。明治9年に英国グラスゴーで造船され、1028トン、三帆檣。この大学の練習船であった。今や老朽激しく走ることはできない。保存にはお金が掛かるそうである。大学の隣にスポニチがある。ここで7年6ヶ月新聞作りに励んだ。夢の島公園を右に見て荒川に入る。『荒川ロックゲート』はパナマ運河式閘門が体験できる。荒川から旧中川に入るために水位に高低差があるためにここで調整をする。『鳴瀬丸」がいったん荒川ロケットの中に入る。すると荒川の水門が閉じられる。そこで水位を下げて旧中川の水位に合わせる。見る見るうちの水位が下がる。壁の水位計は−6メートルを記録した(実際は最大3.1メートル)。約20分間。今度は旧中川側の水門が開く。その水門を通る際、かなりの水滴を浴びる。「水門のかかる護岸の辛夷かな」(紫微)。小名木川・日本橋川に入る。小名木川には12の橋がある。高橋がある。清澄通りである。この通りには相生橋がある。高橋は泥鰌が有名.「灯入れて芦戸透くなりどぜう鍋」(石田波郷)。日本橋をつくづく眺めたのは今回が始めて。明治44年の完成。真ん中に橋脚のある2連アーチ橋である。橋の装飾は多彩、袖柱に擬宝珠を象り、親柱に唐獅子、中央に麒麟、橋灯は様式のランプだ。この界隈の人たちは年に1度、橋を洗い清めている。この中央通りには万世橋がある。「日本橋の桁下過ぎる花三分」(紫微)

 神田川では一ツ橋を通る。左岸に毎日新聞、右に如水会館がある。有楽町にあった毎日新聞が竹橋のこの地に移った昭和41年から昭和63年まで何回この橋を通ったことか。長さ30.6メートル、横27メートル、完成大正14年12月。この橋はラーメン橋台橋という。東京の震災復興を早くするために道路側に橋台用地を取らなくて済むように考案された。橋台を河川の両側に造り間に主桁を渡す。水流と船の便を考えて橋台はアーチ型である。江東区にはこのタイプ橋が5橋残っている。竹橋JCTを通ると新築したばかりに千代田区役所ビルが見える。ここの建物の設計者は何故、神田川に接しながら防災用の船着き場を作らなかったのかと思う。災害時に役に立つ。この辺りには江戸城の石垣が見られた。水道橋からお茶の水へと進む。関東大震災の復興橋梁のシンボル、聖橋が見える。竣工は昭和2年7月、デザイインは建築家山田守。全長92.47メートル、幅22メートル、復興事業として永代橋、清洲橋とともに代表される作品である。聖橋の名は北側にある「湯島聖堂」と南側にある「ニコライ堂」にちなんでいる。日本文化とロシア文化を結ぶ橋であった。「川面より見上ぐる駅舎蓮華草」(紫微)

 隅田川に出る。言問橋は懐かしい。戦後この橋の右岸にわずかな期間住んだことがある。一度訪ねてみたが付近は取り壊され昔をしのぶものはなかった。橋は昭和3年2月完成、全長237.7メートル、幅22メートル,3経間鋼桁橋、両側は公園である。散歩がてらの人々が船上の我々に手を振る。私たちも手を振った。お互いの解放感がそうさせるのであろう。「桜並木互い手を振る舟遊び」。東京の橋も調べれば調べるほど興味が尽きない。隅田川の右岸にはアーチ橋が多く左岸にはトラスト橋が多いとか。午後2時半過ぎスカイツリーがすぐそばに高く見える吾妻橋簡易船着場に着く。土曜日の一日を十二分に堪能した。

「春の水幾何学模様のトラス橋」(紫微)
「江戸の代の橋を廻りてうららけし」(紫微)
「金色の雲電波塔春の空」(紫微・アサヒビール社屋)