2010年(平成23年)2月20日号

No.495

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追悼録(409)

豆撒いてより三日後に我は癌 滋酔郎


  手元に江国滋さんの「微苦笑俳句コレクション」(実業の日本刊・1994年8月・初版)がある。著名人の俳句が収められていて大変面白く啓発される。この本で岸田今日子さん(故人)に「火の気なき炬燵の上の置手紙」(眠女)の句があるのを知った。「私はもうこれ以上ガマン出来ません、長々お世話になりました」と二度も三度も読み返しながら茫然としているご亭主の顔が浮かぶと、江国さんは解説する。こんな句もある。「烏賊さいてその夜抱かれる女である」(竹村国子)。「烏賊裂く」は秋の季語である。「白もくれん一糸まとわぬまま現れぬ」(鎌倉佐弓)。江国さんは「温泉、水なめらかにして凝脂を洗う」と『長恨歌』(白楽天)にうたわれた楊貴妃のイメージであるという。少し横道にそれると、この詩は「侍児扶け起こすに矯として 力無し」とつづく。白楽天はあざ名である。白居易は8世紀後半から9世紀はじめにかけたいわゆる中唐時代の代表的詩人である。貧しい家庭に生まれたが、国家試験に合格して官吏となる。最後は刑部尚書(今で言うなら法務大臣)まで昇進して75歳でなくなった。『長恨歌』は当時ももてはやされた千古の傑作である。

 江国さんは「死後という時間あるいは涼しきか」(黒崎治夫)という句の解説の中で文芸協会が管理運営する“団地墓“を購入したと書いてある。1997年8月、63歳で亡くなった江国さんの骨はここに安置されているのだろうか。食道癌を宣告されたのは1997年2月6日であった。見出しの句ができた。

 私も癌になったら告知してほしいと思うが、実際に宣告されたら動揺するであろう。いずれ死ぬことがわかっている。それでも死の恐怖は簡単に消えない。数年前、医者をしていた友人が肝臓癌と宣告されても延命治療を拒否、すべての後始末をして1ヶ月後、従容としてなくなった。江国さんにして「残寒やこの俺がこの俺が癌」がある。後に「おい癌め酌みかわそうぜ秋の酒」との心境に達するが食道癌を宣告されてからわずか6ヶ月後にあの世に旅立った。

 「詩人逝く南無阿弥陀仏春寒し」悠々


(柳 路夫)