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国民の新聞への期待は薄くなった
牧念人 悠々
朝、新聞には目を通す。ブログの材料を探すためである。多くの場合1面トップの記事からヒントを得ることが多い。材料がない時は読んだ本とか映画・芝居、美術展などの感想を書く。ともかく私には新聞はなくてはならい。このところ新聞の機能が衰弱したように思えてならない。新聞の機能は報道、解説,評論である。それが読者の感動を呼びの共感が得られると大きな力となり世論を形成する。新聞がその役割を十分に果たさなくなってきた。その端的な例がチュニジア独裁政権の崩壊の事件である。一人の若者の抗議の焼身自殺がインターネットの情報で伝わり反政府デモが全国に広がりベンアリ大統領は亡命を余儀なくされた。焼身自殺からわずか10日であった。1月19日の『銀座展望台』に次のように書いた。
「▲チュニジアの暴動を「ツイッター革命」という。一人の青年の抗議の焼身自殺がまたたく間に民衆のデモとなり暴動となるのは23年間の大統領の独裁政治があるとしてもネットの力は大きい。
これからは”ネットの時代”である。新聞、テレビの時代は去った。国外に逃亡したベンアリ大統領はさぞかし「ツイッター」を恨んでいるであろう。
国の面積16万3610平方キロメートル。日本の約5分の2の広さである。人口1033万人。言語アラビア語とフランス語。宗教イスラム教スンニ派、キリスト教、ユダヤ教(少数派)、一人当たりの国民所得3480米ドル。
歴史で名高いカルタゴの遺跡を観光資源としていたようであるが、権力をむさぼり、国民の“かまど”の心配をしない為政者はいつかは没落する」
騒ぎは中東、北アフリカに飛び火、エジプトでは内閣の総辞職までに発展した。ネット恐るべしだ。先の尖閣列島件でも海上保安庁の保安官が「現場のビデオ」を本来なら新聞社へ持ち込むものをネットへ流した。昔は事件の容疑者は新聞社に自首したり、ニュース写真を持ち込んだりしたものである。今なお抜群の取材力を持ち要所に取材網を構築しているのだから報道力に他に負けるわけがない。報道、解説、評論を深く掘り下げるとともにネットとの共存をもっと考えるべきであろう。それしか生きる道はない。 |
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