敗戦時、私たち陸軍士官学校第59期生は3043名いた。それが昨年12月31日現在で1375名となった(うち行方不明145名)。平成17年以来21年まで一年間の死亡者が70人台で推移したのが昨年は106人を数えた。これからは年間の死亡が100人を超えそうである。暗澹たる気持ちになる。元気だが足腰が悪く歩行が困難だというものも少なくない。年齢が85歳前後であるからやむをえまい。このほど開いた全国幹事会(1月25日)もいつもなら100名を越えるのに66名の出席であった。
昨年の死亡の病名を見ると癌9名.心臓系7名、脳血管系、その他19名(うち肺炎10名)不明47名となっている。全国大会も今年と平成25年の2回開いて25年12月で同期生会を組織として解散する。あとは地区ごとに同期生が集まって交流する。
「こころよく陽は回りてきてサイネリア精いっぱいに花盛り上げる」(1月25日の花は「サイネリア」・鳥海昭子)
今年の本部代表幹事は全国幹事会で次のように挨拶した。
『3年後に59会の組織を解散する時期に本部代表幹事になった重責を強く感じています。雑誌「偕行」の新年号の「花便り」に書いたが、3月号から「今を生きる」を「戦後を生きる」と衣替えして私たちが戦後どのような思いで日本再建のために働いてきたか、地域のためにつくしてきたかを記録し、その思いを後世に残したいと考えた。これは私たちの仕事であり、責任でもある。とりわけ民主党政権のもと、日本が混迷を続けている現代、意義のある作業と思う。今年は59会の目的の一つである親睦をさらに豊にするため私なりの努力をしたい』
雑誌『偕行』に掲載された同期生の「戦後を生きる」はいずれ「陸軍士官学校第59期生の戦後」と題して出版したい。同期生の中にはすでに亡くなった梶山静六元官房長官、渡瀬憲明代議士、を始め著名士がいっぱいいる。材料には事欠かない。
手元にある同期生の葬儀の際、歌う「遠別離」(作詞・中村秋香、作曲・杉浦千歌、編曲・唄・遠藤実)を聞く。
「程遠からぬ旅だにも
袂わかつは憂きものを
千重の波路を隔つべき
きょうの別れを如何にせん」
(柳 路夫) |