2010年(平成23年)1月20日号

No.492

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安全地帯(309)

信濃 太郎

アビゲールさんの俳句修行の波紋
 

先にアメリカの外交官・フリードマンさんの著書「私の俳句修行」(訳中野利子・岩波書店)を紹介した(1月10日号「安全地帯」)。友人の霜田昭治君がこのほど、フリードマンさんの本の感想を送ってくれた。霜田君は「笙子」の俳号をもつ。最近の作に「日中は家に籠らず日脚伸ぶ」がある。川柳もこなす。通っているジムの「セサミ」が開店記念日に川柳を募集した。見事に当選した川柳は店の名前を織り込んだ句であった。「セサミ来て サンドの食事 ミナうまし」。こんな川柳もある。麻雀店「ポンテ」の女主人の誕生日に贈った句である。「ポンは上がりの前兆よ テン牌間近だ見てごらん まさかと思うあさはかさ 満貫成就この通り」。まことに軽妙洒脱である。

 霜田君は原書「THE HAIKU APPENTICE」BYABIGAIL FRIEDMAN 2006を手にしたくなったと次のような本の感想であった。

 俳句の入門書として広く読まれてよい本だと思う。俳句の窓から日本の伝統文化を読み解き、接した人たちの人物像を生き生きと描写しているフリードマン女史は話の運びもうまい”ストーリーテラー“である。”ストーリーテラー“といえば若いころに耽読した英国作家サマセット・モームが頭に浮かぶ.中野好夫の名訳で読んだが、お子さんの中野利子女史の訳調もお父さんに似ている気がした。血筋であろう。

 明治11年に47歳の英国女性イサベラ・バードが日本人通訳を雇って単身6月から9月まで東京から北海道を旅行したときの記録(*「日本奥地旅行」)がバックスブリタニカの視点で日本の風俗習慣を詳細に観察して面白かったが、米人フリードマン女史はバックスアメリカーナではなく、コスモポリタン的なところがあるようだ。日本人の心情を同じ目線で捉えている。例えば拉致問題。“フリードマン”という姓ハユダヤ系である。米国のノーベル賞経済学者・ミルトン・フリードマンは規制のない自由主義経済を理想としたユダヤ系移民である。国境を越えるヘッジファンドは彼の系譜である。世界の国々を逞しく放浪したユダヤ人はコスモリタンのDNAを育てて何処でも生活に順応出来る特異な民族に違いない。

 *バード女史が横浜に到着して最初に有った英国代理領事のウイルキンソンが彼女の日本奥地旅行の計画を聞いて「英国婦人が一人旅をしても絶対に大丈夫、大きな障害になるのは蚤の大群と乗る馬の貧弱なことだ」と語ったという。結果はその通りであった。私には明治11年は西南戦争の翌年で、大久保利通の暗殺、近衛兵の竹橋事件、陸奥宗光の投獄(挙兵容疑)など不穏な時代に思えるが、英国外交官が治安のいい国と断定しているのが興味深い。以前読んだ脚本家橋本忍の著書「複眼の肖像」に出ていたが、事件だけで歴史を解釈するのは危険である。

フリードマン女史は北朝鮮の核危機が発生した頃日本に赴任、広島で長男を出産、そして俳句修行のきっかけは広島被爆体験者の旅人木(大岩幸平)との出会いであった。女史の父もマンハッタン計画の核科学者で、日本、特に広島とは不思議な縁があると書いている。

 女史の“アビゲール”というファーストネイムは寡聞にして聞いたことがないので気にしながら読み進むと、115ページにダビデ王の妻の名前であると書いてあった。姓といい、名といいユダヤ系の血筋である。「アビゲール」を別の資料で当たってみた。幕末、黒船ペリーを日本に派遣した米国13代大統領ミラード・フィルモアのファァーストレディが「アビゲール」である。(第2代大統領ジョン・アダムムスの夫人も同名である)。私は見ていないが1996年生まれのアメリカ映画の名子役アビゲール・プレスリンが東京国際映画祭で最優秀女優賞(リトル・ミス・サンシャイン2006)を受賞したことを記しておく「アビゲール」という名も日本と深い縁がある。