2010年(平成22年)12月10日号

No.488

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花ある風景(403)

並木 徹

 神様、仏様はただ拝むだけなり

 

 鮫島純子さんの「祖父・渋沢栄一に学んだこと」(文芸春秋刊・2010年10月15日発行)にこんなエピソードが書かれている。渋沢栄一の飛鳥山の邸宅内に洋風の「兜神社」があった。向島の三囲神社の分霊が祀られている。純子さんの父正雄さん(栄一の4男)が一高受験の前夜、兜神社に合格祈願をするのを忘れたと母親にもらしたところ「今から往っておいで」と促した。側にいた栄一が苦笑しながら言った。「自分の所にお詣りにこないからとつむじを曲げるような神なら、詣でる価値のない神さまだぞ。神さんは感謝するだけでよい。願って頼みにするのは子供時代でよいぞ」。父正雄は1年後、念願の一高に合格する。永野護、河野通は同級生であった。

 私は同じようなことを聞いたばかりであった。吉祥寺で多摩地区の同期生の忘年会(11月26日)があったその帰り、前沢功君に誘われた有志10名が近くの曹洞宗月窓院を訪れた。81歳の住職は突然訪れた我々を嫌な顔せずに本堂に案内し、肩のこらない説教をした。その時「仏様は拝むだけなり 頼み事をするなかれ」と教えられた。頭をがーんと殴られたような感じがした。毎月、参拝に往く靖国神社に私は英霊に祈るだけでなくさまざまなお願いをしてきた。その上、時にはおみくじまで買ってわが運勢を占うのを常としている。12月3日、お詣りした際のおみくじは「第36番吉」「このみくじにあう人はもの尽きて又ははじまる形である故願い事は叶うが急ぐべからず神仏に念じよく考えて行えば光り輝く幸せを得る」とあった。これからはひたすら拝むことにする。
渋沢栄一は昭和6年11月11日死去、享年91歳であった。当時雑誌「アララギ」に次のような歌が載った。

 「資本主義を罪悪視する我なれど 君が一代は尊くおもほゆ」

 高橋是清は新聞に談話を寄せた。「山本第一次内閣(註総理・山本権兵衛海軍大将・大正2年2月20日から大正年4月16日)で私が大蔵大臣であった時、当時の金融状態から見て日銀総裁には当時第一銀行頭取であった渋沢翁が一番良いと考え推薦し、会って勧めもしたが渋沢翁は拒絶された後で手紙を寄せて『終始一貫第一銀行をやる考えだから・・・』と心情を述べていた」。渋沢栄一はまことに慾のない人である。常に心がけていたのは「不易忠恕」であった。「真の商業は私利私欲でなくすなわち公利公益であると思う」は至言である。