安全地帯(300)
−信濃 太郎−
井上ひさしの初めての演劇「日本人のへそ」
亡くなった井上ひさしさんは「作品を読んでもらうこと、劇場に足を運んでもらうことが僕の幸せ」と言って旅立ったという(2010年4月9日・享年75歳)。井上さんが初めて手掛けた演劇「日本人のへそ」をみた(10月4日・東京恵比寿・エコー劇場・入場者130人)。演出は熊倉一雄、音楽・服部公一、サブタイトルは「浅草のストリッパー・ヘレン天津の半世記」。昭和43年が初演。実に42年ぶりの再演である。舞台は浅草。ストリップは全盛期であった。
日本初のストリップショウは昭和22年1月、新宿帝都座五階劇場で開いた秦豊吉が企画演出した「名画アルバム」と称する額縁ショウである。舞台に大きな額縁を立てストリッパーが乳房と上半身を丸出しにして額におさまっているという趣向。お客はそれでも大満足した。このころ主食の遅配は全国平均20日、北海道は90日に及んだ。国民は芋ばかり食べていた時代である。舞台のストリッパーは動いたら風俗壊乱で摘発されと言うのでストリパーは身動きもしなかったという。
焼け跡であった東京にどんどん人が集まって昭和33年には900万人を突破。日本国産機YS11が飛び(昭和37年、試験飛行に成功)、新幹線が走り(昭和38年10月)、東京オリンッピクが開催される(昭和39年10月)。このような時代に東北山奥から上京してきた少女がストリップ劇場の雑用係に就職、ストリッパーになり、恋もしながらスターに駆け上がってゆく。実はこれは吃音に悩む人々が治療のために演じる劇中劇なのである。その中でスターとなった少女がお金で次から次へ男に買われてゆくシーンが展開する。女同士と男同士の同性愛、ストリップショウ等の場面もある。ついには代議士殺人事件まで起きる。事件の謎ときで意外な事実がわかるというややこしいお芝居である。それでも井上さんの日本社会構造に対する批判がくみ取れる。
こまつ座のお芝居に比べると、観客へのサービス精神が旺盛である。バタフライのマスクをした男の登場には驚く。言葉の表現は相変わらず絶妙である。主人公が歌う愛の歌が心に響く。「愛してるよ この一言で/女子(おなご)は命をば かけるのよ/捨てられだって/恨んだりしね/好ぎになって/浮気でええだ/あんだば見でから/初(はんず)めて知(す)った/命が燃えるだ/火のように/ああ 生ぎるって/ああ 恋するってこれなのが」
「日本人のへそ」は日本におけるアングラドラマのほとんど始まりであった。恵比寿の裏町の2階家、ゴミのような屋根裏楽屋で役者はぎゅうぎゅう詰めになりながらこのミュージカルを初演し、原作者、のちの文豪・井上ひさしは小屋の入口で下足番をしていたと作曲家服部正は書く。
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