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連載小説 ヒマラヤの虹(24) 峰森友人 作
百合はまた明るく笑った。 「百合! 君はこれからどうするつもり?」 「どうするって・・・」 百合はちょっと詰まった。 「調査の方はこれまでも整理しながらやってきたから、もうまとめを書くだけでいいんです。だからカトマンズの美穂子さんの所に移って、パソコンを借りて書き上げようと思います。そうすれば、そうね、もう一週間もかからないと思います。それで調査の仕事は終わり。だから、今日桜ちゃんが帰ってきたら、ここも引き払う話しをして、あしたにでもトリジャを迎えに出して・・・。となると、あさってぐらいには、トリジャとカトマンズへ行くことになるかしら」 「それで、君の検査は?」 「私?そうね、私はカトマンズでやるのはよくないから、東京に帰ることになるかしら。でも東京で検査したからといって、よくなるわけではないし・・・」 慶太はじっと百合を見た。 「僕はね、最近つくづく考え始めているんだ。長生きは大事だけど、ただ長生きさえすればいいというものでもないってね。僕は自分自身のことを言ってるんだ。まったく僕個人だけのこと。つまり僕は自分が納得出来る美しい死に方をしたいって。例えば・・・」 と言いかけて、慶太は言いよどんだ。 「例えば?」 百合が聞いた。 「例えば・・・、例えば自分の好きな人がエイズと分かれば、その人とエイズを共有するとか・・・」 「まあ、そんな不謹慎なことをおっしゃってはいけませんわ」 百合はにこやかに、母が子を諭すように言った。 「そういうことをしてはいけないの。理性的ではありませんよ。佐竹さんは危険思想の持ち主なんですね」 「いや、今君が取り合ってくれないなら、こういう話しはとりあえず止めにする。でもいずれにしても僕に出来ること出来ないこと、ともかく連絡して下さい。君がカトマンズを離れたら、なるべく早く会おう。そうだ、ニューヨークがいい。ニューヨークできちんと検査して、そして岩崎にどのような償いをさせるかも考えよう。それまでテープは預かっておく」 百合は納得したように笑った。 「僕は君と出会ってから、いろいろと驚かされどおしだったな」 「申し訳ありません。自分ではその時その時一生懸命のつもりなんですが。でも今はちょっと疲れた感じもします。ここらでしばらく本当の休養が必要かも知れませんね。そうすれば、佐竹さんを驚かすこともなくなる・・・」 百合はちょっと寂しそうにこう言ったが、すぐまた陽気に、 「このカーデガン素敵だわ。軽くって、暖かくって、とっても着心地がいいの。佐竹さんに代って、カーデガンに見守ってもらうことにします」 と言った。得意げに腕を広げて、クルタクロワールの上に着たカーデガンを見せる百合を慶太は胸を締め付けられる思いで見ていた。 「でも本当に報告を書いたら、連絡を下さい。それは君の約束だから。手紙に書いていたでしょう。無事文明に帰還出来たら、連絡するって」 「ハイ、無事文明に帰還できますように」 百合はおどけて祈るように手を合わせた。 お代わりの紅茶もなくなったため、百合は後片づけに立った。慶太も自分の寝袋をたたみ、帰り支度にとりかかった。忘れ物がないかどうか確認するため薄暗い部屋に入った。ベッドの上にヘッドランプが残っている。 「これ置いていくので、使って下さい」 と奥にいた百合に声をかけた。その時である。百合がさっと寄って来たかと思うと、慶太に抱きついた。目に涙がいっぱい溜まっている。百合が一度目をしばたたくと、大粒の涙がどっと溢れて、頬を伝わった。言葉もなくしばらく抱き合っていたが、慶太はゆっくりと百合の顔を起こし、髪をなでながら言った。 「もしお互い生まれ直せることがあったら、その時はもっと早く会って二人一緒の生活を考えよう。その時人違いをしないよう、印をつけておこう」 慶太はこう言って、髪を書き上げた百合の額にじっと唇を押し当てた。百合は慶太の胸の中で鳴咽した。 このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。 |