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「海に抱かれて」 大竹 洋子
フィルム提供 アジアフォーカス・福岡映画祭実行委員会 海の真ん中にぽつんと浮かぶ小さな島。人々は漁業で暮らしを立てている。漁師の父と、島でただ一人の助産婦の母をもつ少年ペピートは、父が漁に出ていった夜の海辺で、人魚の姿をみた。翌朝、父は遺体で還ってきた。村は迷信でいっぱいである。 成長したペピートは母の仕事を手伝っている。島では子どもが次々に生まれる。町から舟でやってくる女性教師に恋しているペピートは、幼馴染みの少女の熱い視線に気がつかない。夫が死んだ寂しさを、村で一番の子沢山の男とつきあうことで紛らわせていた母が妊娠した。人の子どもをとりあげる母が、胎内に宿った命を絶つために、薬草を飲んだり跳びはねたりする。母の秘密を知っているのはペピートだけである。だがペピートの懸命の慰めもむなしく、母は一人舟を漕ぎ出し、夜の海に沈んでしまった――。 マリルー・ディアス=アバヤさんは、いつも祖国フィリピンがかかえる問題と対峙することによって、映画をつくってきた。スタート時には男性社会を断罪し、暴力と権力で女性を支配しようとする男性たちを告発した。しかしアバヤさんは、次第に自国の文化を守ることに主眼をおくようになっていった。今、アバヤさんが大切にしているのは、それがフィリピン社会の特長である家族の連帯である。 前作「ミラグロス」(97)で、父親への娘の無垢な愛を描いたアバヤさんは、今度は助産婦という母の職業を選択する青年を主人公に選んだ。そして、西欧文明というものに未だ侵蝕されていない小さな島の、自然の中に主人公をおくことによって、フィリピンの過去(伝統)と現在(進歩)にまで問題を発展させた。 撮影は、マニラから約200キロの南方の漁村で行われた。10週間の撮影中に、村人との交流を通して、アバヤさんは多くのことを学んだと語っている。映画の内容を、村人のほうがよりよく理解したことにアバヤさんは驚いた。つまり、村人たちは映画の役柄を実際に生きていたのである。そして彼らの映画への熱心な協力は、彼らだけでなく、フィリピンの何百万人もの漁民の姿を反映させることになったのである。 さらに村人たちは、フィリピン人の自然との調和の精神や、過去への敬意、人間の善を信じる心をスタッフに教えてくれた。宗教(彼らは敬虔なカトリック信者である)と迷信、個人的幸福と社会的義務、神話と現実、これら対立するもののあいだにある矛盾を、村人たちがおだやかに、かつ自信をもって解決していることに、アバヤさんは感動したという。 いろいろな葛藤をのりこえて、ペピートは助産夫になる。ペピートの回想という形で映画は進められるが、最終シーンで老いたペピートが、その手でこの世に出現させた大勢の子どもたちと、夕暮れの海岸を歩く姿をみながら、私はアバヤさんが、また良い作品をつくってくれたことに感謝した。 アバヤさんの最新作は、フィリピン独立の父、ホセ・リサールの生涯を描いた「リサール」である。独立100周年を記念するこの作品の監督に指名されたということは、アバヤさんが、今やフィリピンで一番の監督になったことを示している。11月2日、国際女性映画週間実行委員会は、来日するアバヤさんの表彰を行う。 11月2日(月)、12:30からシネセゾン渋谷(03-3770-1721)で上映。 このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。 |