花ある風景(377)
並木 徹
チリの小説「石の犬」を読む
チリの医師がアジェンデ政権下での出来事を小説にした「石の犬」(翻訳清成秀康・清成秀子・梓書院)を読む。第1章から第11章まである。いずれも前の章を受けた書き出しでないので一見、別の物語のように見えるがみんなつながっている。作者が「石の犬」にこめた意味が最終章になってはじめてわかる。「石の犬は」は「少女のころに抱いた固い信念」であり「願いが叶へられるよう運命が彼女に与えた贈り物」である。少女が初恋の人と結ばれるのにほっとする。時代は1971年9月から1973年9月まで、かなり深刻で考えさせられる小説である。
選挙により社会主義者、サルバドル・アジェンデが大統領となり、左翼連合政権が誕生する。国の広さは75万余q。日本の2倍ほどの大きさである。人口1200万人。無名の人々が社会主義と政治の渦に巻き込まれ、傷つき、無残に死んでゆく。起きる事件は「正義」と「公正」な社会実現が幻想であることを見せつける。
農民革命組織は地主たちを追放してその土地を占拠する。これは1972年5月に起きた事件。過激派農民が土地の奪取を指揮し多くの暴力行為を働いて捕まって投獄されても過激派の集団が裁判所に押し掛けて狼藉の限りを尽くして強引に釈放してしまう。裁判官はこれらの暴力に屈せず,「囚人釈放命令を出すのを拒否」したり「真理と法の順守」を説いたりして司法への信頼をくいとめる手本となる。この有様に国民は失望する。よりよい社会実現のため憎悪や暴力は必要ないからである。
アジェンデ政権がついに軍部と対立する。石の犬を大切に持つ少女の叔父の農場主は両者が衝突、負傷者と死者が多数出たというテレビニュースをみていう。「本当に、こんなことが起こらねばならなかったのだろうか。憎悪が限りなく高まってしまった。今日は軍部の一部が蜂起したが、明日には国中が立ち上がるだろう。もうこれ以上耐えらないだろうからね」「我々の意志の力というのは理性を超えているからね。このような組織的な人間性への侮辱、違法行為、正義の軽視、マルクス主義者の恒常的な恥知らずな嘘、こうしたことは実に我々を怒らせて余りある」
国の経済にとって重要な分野である広大な土地が強制収用され、暴力によって没収される。多くの工場も同じように没収される。生産が減少し食料にも日常品にも困るようになった。一切れのパンを得るために長い行列が出来、闇市も現れた。少女の叔父の農場が過激派に襲われる。そこへ少女の恋人が白馬の騎士よろしく2人の友人を連れて救援に駆けつけ過激派に損害を与えて撃退する。この第8章が一番読み応えする。
アジェンデは銃弾を2発頭に打ち込み自殺する。その自動小銃はフィデル・カストロが彼に送ったものであった。小説の最後のくだりにこうある。「その娘があの逆境の最中にも信頼を保ちつづけたことをぜひ覚えていてもらいたい。彼女は私たちに信頼することの大切さを教えてくれたわ」。その象徴が”石の犬”である。
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